岐阜県の母袋温泉スキー場は、何となくロコな雰囲気が感じられて一度滑りに行きたいと思っているが、このところ雪不足でスキー場の営業ができないでいる。今シーズンも12月28日に早々とワームページ上で以下のように営業休止が告げられた。
「年々暖冬が続き、雪不足で営業出来ないシーズンが続いておりましたので、今シーズンのスキー場営業は中止を決めましたのでよろしくお願いします。団体様冬季キャンプのみ受付しております。(後略)」
冬季キャンプをやっているということは、積雪さえ十分にあればスキー場営業は行えるように思える。いつか滑りに行けるかな~
2025年01月22日
2021年05月12日
国見岳スキー場(岐阜県揖斐川町)
(左)案内板には「休」の文字。(右)ゲレンデ下はレトロな雰囲気。
岐阜県と滋賀県を隔てる稜線は伊吹山から北へと続いている。その中の国見岳北側に位置していたのが、国見岳スキー場。その国見岳スキー場が昨シーズン限りで廃業したと教えてくれたのは、本ブログでもたびたびお世話になっている西濃にお住いのKさんだった。
彼からの本年1月のメールには「お別れを言おうと行ってきましたが民家が途切れた所で除雪は終わり。たどり着けませんでした。これで岐阜県西濃地方のスキー場は全滅です」と記されていた。「スキー場までの道路といい駐車場・レストハウスなど、総てが 昭和40年代そのものでした」とも書かれていた。
(左)廃止済のシングルリフト乗場。(右)ロッジの壁にあったゲレンデマップ。
公式の発表はないが昨シーズン営業はされなかったし、代表電話番号が不通で公式ウェブサイトも閉鎖ということなので、営業を取りやめたと考えていいだろう。信州人にとってはなじみの深い地域ではないが、岐阜方面への所用にあわせて現地を訪れてみた。
大垣市の中心部から30kmあまり。旧春日村の中心地を過ぎるあたりから道はか細くなり、案内板がなければこの先にスキー場があるのか不安になるくらい。雪道運転に慣れない人には厳しかったのではないだろうか。途中の「国見岳」の案内板には「休」と大きく書かれていた。
(左)第3ロマンス乗場。(右)第2リフト(シングル)乗場。
案内板に導かれるようにゲレンデ右手の第3駐車場まで入ることができた。一番手前(右手)にひと昔前に廃止になったと思われるシングルリフト。その向こうには搬器を外された3本のリフトが並列に架かっている。ゲレンデ下にはロッジ・食堂・スキー教室などの建物がいくつも軒を連ねている。
しかし、それらの建物はいずれも昭和の雰囲気を十分に感じさせるもの。リフトも含めてひと昔前の雰囲気を感じさせているけれど、こんな味わいは嫌いではない。見上げるゲレンデは快適に滑れそうなバーンが並んでいる。並列に並んだ比較的単純なゲレンデ構成だけれど、手軽に楽しめそうな印象を受ける。
(左)中央ゲレンデは幅の広い緩斜面。(右)少し左に離れた第4ペアパラ乗場。
「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には以下のように紹介されている。「滋賀・岐阜県境の国見岳の北斜面。伊吹山に近いが、アクセス路は大垣方面からのみ。初・中・上級の各コースが2本ずつ。スノーマシンを装備して雪量は心配なし。火水木土は22時までナイターあり」
スノーマシンは設けられていたようだが、積雪はどうだったのだろうか。連日のナイター営業もあったようだが、林立するナイターの照明がいまとなってはむなしく感じられた。(現地訪問:2021年5月)
(左)かもしかゲレンデ下部。(右)国見峠への道からユートピアゲレンデ上部。
2020年09月03日
揖斐高原スキー場(日坂ゲレンデ)[岐阜県揖斐川町]
揖斐高原スキー場は、すでに廃止された貝月・坂内と日坂の3つのゲレンデから構成されていた。貝月・坂内については本ブログでも過去にレポートしている。そして、残る日坂ゲレンデもついに営業を取りやめることになった。岐阜新聞(7月16日)によると「岐阜県揖斐郡揖斐川町は、同町日坂の揖斐高原スキー場の営業を昨シーズン限りで終了させ、スキー場運営から撤退する方針を固めた。今後は降雪に左右されない活用方法を検討していく」と報じられている。

(左)日坂第1ペアリフトからゲレンデを見上げる(*)。(右)日坂ゲレンデの案内板(*)。
「昨シーズンは、雪不足のため1日も営業できず、2018年度も3日しか営業できなかった。町は深刻な雪不足とスキー人口の減少で、かつてのような収益は見込めないと判断し、運営から撤退する方針を固めた。(中略)今後は、トレイルランのコース整備などを検討。自然を生かして、1年を通して安定的に活用できる方法を模索していく」とのこと。
1963年に開設。人工降雪機を使わない天然雪のスキー場だっので、やはりこれだけ積雪が減っては営業日数の確保が難しいだろう。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」の「揖斐高原」の項には「貝月山の北斜面に日坂・貝月・坂内のゲレンデ。積雪は豊富でパウダースノー。R303沿線にありマイカー利用に便利。ナイター21時45分まで」と掲載されている。

(左)貝月・日坂ゲレンデ入口の案内板(*)。(右)貝月・日坂・坂内の全体ゲレンデマップ(**)。
最盛期には貝月(ペア1・シングル1)日坂(ペア2)坂内(ペア1・シングル1)あわせて6基のリフトをもち、相当な規模を持っていた。坂内はやや奥まった位置にあり、やや独立した雰囲気があった。一方、貝月・日坂の両ゲレンデは栃の実荘を挟むように位置していたが、手前にある貝月ゲレンデの方が一足先に営業休止となっていた。
もともと周囲にはコテージやバンガローを備えたキャンプ場もあり、いまや営業日数が見込めないスキーに重きを置くメリットはないだろう。今回はさまざまな事情から現地に行くことが困難ではあるが、以前、貝月ゲレンデ訪問時に見た感じでは、日坂ゲレンデも初中級者向けの快適そうな斜面が広がっていた。身近なスキー場が次々と姿を消していくのは寂しい。

(左)栃の実荘の左に広がっていた貝月ゲレンデ(*)。(右)坂内ゲレンデ(**)。
(*)=2012年6月 (**)=2011年4月
こちらもご覧ください → 揖斐高原スキー場・坂内ゲレンデ
揖斐高原スキー場・貝月ゲレンデ
(左)日坂第1ペアリフトからゲレンデを見上げる(*)。(右)日坂ゲレンデの案内板(*)。
「昨シーズンは、雪不足のため1日も営業できず、2018年度も3日しか営業できなかった。町は深刻な雪不足とスキー人口の減少で、かつてのような収益は見込めないと判断し、運営から撤退する方針を固めた。(中略)今後は、トレイルランのコース整備などを検討。自然を生かして、1年を通して安定的に活用できる方法を模索していく」とのこと。
1963年に開設。人工降雪機を使わない天然雪のスキー場だっので、やはりこれだけ積雪が減っては営業日数の確保が難しいだろう。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」の「揖斐高原」の項には「貝月山の北斜面に日坂・貝月・坂内のゲレンデ。積雪は豊富でパウダースノー。R303沿線にありマイカー利用に便利。ナイター21時45分まで」と掲載されている。
(左)貝月・日坂ゲレンデ入口の案内板(*)。(右)貝月・日坂・坂内の全体ゲレンデマップ(**)。
最盛期には貝月(ペア1・シングル1)日坂(ペア2)坂内(ペア1・シングル1)あわせて6基のリフトをもち、相当な規模を持っていた。坂内はやや奥まった位置にあり、やや独立した雰囲気があった。一方、貝月・日坂の両ゲレンデは栃の実荘を挟むように位置していたが、手前にある貝月ゲレンデの方が一足先に営業休止となっていた。
もともと周囲にはコテージやバンガローを備えたキャンプ場もあり、いまや営業日数が見込めないスキーに重きを置くメリットはないだろう。今回はさまざまな事情から現地に行くことが困難ではあるが、以前、貝月ゲレンデ訪問時に見た感じでは、日坂ゲレンデも初中級者向けの快適そうな斜面が広がっていた。身近なスキー場が次々と姿を消していくのは寂しい。
(左)栃の実荘の左に広がっていた貝月ゲレンデ(*)。(右)坂内ゲレンデ(**)。
(*)=2012年6月 (**)=2011年4月
こちらもご覧ください → 揖斐高原スキー場・坂内ゲレンデ
揖斐高原スキー場・貝月ゲレンデ
2019年09月22日
高平スキー場(その2)(岐阜県郡上市)
(左)ゲレンデ下のレストハウスは健在。(右)レストハウス前からゲレンデと右手の第2リフト跡を見上げる。
前掲の平家平再訪に合わせて、高平スキー場跡も訪れた。こちらは、以前訪れた時から平家平と違って、植樹などがされて園地風に整備されていたのだが、しかし草木が繁って薮っぽくなり、ゲレンデの痕跡もわかりにくくなっていた。
国道156号から「高平延年の森 この先500m」という看板を見て西側に折れる。しばらくすると道は左右に分かれるが、右の道を選択して進めばレストハウスの前に導かれる。レストハウスの周囲やそこから見上げたゲレンデ跡も、ずいぶん樹影が濃くなったような気がする。斜面は桜の木や草に覆われて、ゲレンデの痕跡は日々薄れているようだ。その一角に、一番右手にあった第2リフト乗場の残骸は残っていて、かすかにスキー場としての名残が感じられた。
(左)第2リフトからレストハウスを見おろす。(右)もう1基のリフト(第1リフト?)の残骸。
先刻の分岐までもどり、今度は左手へ進む。右手にもう1基リフトの残骸があったはずだが、今回はなかなか見当たらない。すっかり木々に覆われてかすかに頭を出したリフト乗場の残骸をようやく見つけることができた。さらに進むと道すがら「ブラザーの森」という案内板が見られ、自然保護活動が進められていることが告げられている。
遊歩道としても整備されたものか、各所に方向を示す道標も設置されている。ただ、季節のせいもあって、ヤブ気味の遊歩道を歩く気にはちょっとならない。林道のような幅広の道が九十九折で上部へと進んでいるが、その道もやや崩れがちである。やはり時間の経過とともに斜面は自然に帰ろうとしていて、前回見えたような奥美濃の山々の展望は、成長した木々に遮られてかなわなかった。(現地訪問:2019年8月)
一帯は「ブラザーの森」として自然保護活動の対象となっているようだ。
こちらもご覧ください → 「高平スキー場(その1)」
2019年08月30日
平家平スキー場(その2)(岐阜県郡上市)
(左)長良川を渡り上っていくとゲレンデ下に至る。(右)倒壊したロッジの建物。
久しぶりに奥美濃を訪れる機会があり、平家平スキー場の跡地を再訪してみた。国道156号沿いの北濃駅前からわずかに北に進むと、東側に渡る細い橋がある。その橋を慎重にわたり、坂道を上がって行くと平家平スキー場の跡地に出る。
前回訪問から9年の歳月が過ぎ去っているものの、その佇まいは大きくは変わっておらず少々安堵する。とはいうものの、ゲレンデ下にあるロッジの建物の崩壊具合は前回よりもずっと激しいものになっている。屋根の妻部分に「ロッジ平家…」とあった建物は、すっかり潰れている。
季節のせいもあろうが草木が斜面全体を覆い、ゲレンデの痕跡を消し去ろうとしているかのように思える。斜面中央にある赤い屋根の建物は、前回訪問時にはなかったような気がするが記憶がはっきりしない。以前は斜面の下に立つとリフト乗場やリフト券売場の小屋も見渡せたのけれど、それらは樹木に覆われ近づくことさえ難しくなっている。
(左)ロッジ前からゲレンデを見上げる。(右)リフト乗場は樹木に覆われわかりにくくなっている。
スキー場施設をすっかり撤去し斜面に植樹などが行われることもあるが、このようにいつまでも痕跡をとどめている場所もある。その違いは土地所有などや廃止の形態によるのだろうか。不勉強でわからない。廃ゲレンデ訪問者の勝手な気持ちとしては、平家平の痕跡に再び出会えたことは嬉しかった。(現地訪問:2019年8月)
こちらもご覧ください → 「平家平スキー場(その1)」