2018年12月16日

しらおスキー場(岐阜県郡上市)

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(左)しらおスキー場入口の案内板。(右)遠景からのしらおスキー場上部。左に第7ペア上部、右に第1ペアが見える。

本年6月にしらおスキー場のホームページで、スキー場の閉鎖が告知された。「この度、6月30日(土)をもちまして、有限会社六ノ里 しらおスキー場を閉鎖させて頂くことになりました。平成13年のオープン以来、17年月余に渡りまして、多くのお客様にご愛顧頂きました事を心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました。(後略)」

閉鎖の理由については触れられていない。スキー人口の全体的な減少もあるだろうが、奥美濃の中では南部に位置し、近年では雪不足によって営業期間が短くなっていたことも影響しているのではないだろうか。最近は平日リフト券2,000円(平日駐車場無料)という廉価設定でアピールしていたようだ。詳しくはわからないが、17年という寿命だとしたらあまりに短命なスキー場といわざるを得ない(コメント欄にお寄せいただいた通り、当初開業は1980年代中頃とのこと)。

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(左)白鳥ICからの道脇の案内。(右)第5リフトと右下にレストハウス。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「白尾山山麓に位置し、大杉ゲレンデと白樺ゲレンデの2つのメインゲレンデがあり、3kmのダウンヒルコースや2kmの林間コースが楽しめる。東海北陸道白鳥ICから車で10分とアクセスはグッと便利。日帰りの利用客が多く、スノーボードは全面開放、BXコースやジャンプ台などを備え、さらに人気が期待される」と紹介されている。

奥美濃では比較的名古屋に近く、知名度はやや低いながらコースバリエーションに富んだゲレンデ。ゲレンデベースからは全体像がつかみにくい奥行きのあるスキー場だった。2つの緩やかなゲレンデとそれらをつなぐ上中級向けのダウンヒルコース、振り子沢コースなどで構成されていて、ペア4基、シングル2基のリフトがあった。ゲレンデ構成は興味深かったが、訪問を果たせないうちに本ブログの対象となってしまった。

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(左)アクセス道は進入禁止。

一部のスキー場がオープンし始めた12月の中旬、しらおスキー場を訪問した。白鳥ICから途中「しらおスキー場 今シーズンは終了しました」という道脇の掲示を見ながら、県道82号を進む。しかし、スキー場へのアクセス道に左折したところにゲートがあり、「無断進入禁止」の表示。自重して周辺の林道などからゲレンデの様子を観察するにとどめる。ゲレンデ下部はスギやヒノキの林に囲まれて、遠くから様子はわからない。

メインの第1ペア、右手の第5ペア、左手奥にあった第7ペアの上部は遠目に確認することができたが、いずれも搬器を外された状態だった。奥行きのあるゲレンデなので、遠景から全体像をつかむことは難しい。ただ、斜面にはうっすらとしか雪がなく、営業していてもオープンはまだ先だっただろう。いつか白尾山への登山道をたどって、上部からゲレンデの様子を見てみたいと思う。(現地訪問:2018年12月)

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(左)第1ペア上部と振り子沢コースの最上部。(右)第7ペア上部。

2016年09月13日

寒水第2スキー場(岐阜県郡上市)

奥美濃の郡上にあった寒水スキー場を本ブログで取り上げたのは5年前のこと。たしか、その時に見た資料には寒水第2スキー場の名前も記載されていたが、あまり細かいことはわからなかった。今年初め頃、本ブログ読者のKさんから、この寒水第2スキー場についてご連絡をいただいた。

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(左)寒水川に沿う県道の脇にある蛇岩の祠。(右)林道で車が乗り入れられるのはここまで、この先は荒れた林道を歩く。

Kさんは、夏から秋にかけてこの寒水でトマトづくりをされている。土地の人から聞いた話では、寒水を南北に貫く県道82号線の脇にある蛇岩の祠から、西側の山中に入ったところに寒水第2スキー場があったということだった。夏場になったら訪れてみようと思っていたが、なかなか機会がなかった。高山方面に所用で出かけた折に足をのばすことができた。

前もって連絡したわけではなかったものの、運よくKさんはトマト畑で仕事をされていた。聞いた話にもとづいて案内していただき、スキー場跡地まで一緒に行ってみることになった。蛇岩の祠から一段西に細い道を上った先で舗装は途切れ、その先、1kmほど未舗装林道に車を乗り入れる。

ただ、1kmほど進んだ先は、林道の路面が荒れていてとても車の乗り入れはできない。熊鈴も付け、山支度をして歩きはじめる。草が茂り倒木などもある道を20分ほど歩くと林道の跡は途切れる。以前はここまで車で上ってきたという。背の高い草に覆われているが、車数台くらい駐車できる平地があるように見えた。右上の斜面がどうやらゲレンデ跡のようだ。

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(左)林道終点は小広い平地になっている。草に覆われているが、以前は数台分の駐車場があったと思われる。(右)ゲレンデだったと思われる斜面を見上げる。昔の牧草地の雰囲気は感じられた。

踏み跡らしきものをたどって右上(西)へと斜面を登る。広葉樹が茂ってはいるが、下草の雰囲気や斜度から見ると、ここが寒水第2スキー場の跡地と思えた。東向きの斜面は、中級者向けには程よい傾斜ではなかっただろうか。昔は牛の牧草地だったということで、冬期にわずかな積雪でも滑ることができたという。リフトやロープトゥもなかったけれど、当時は明宝方面で唯一のスキー場だったので結構にぎわっていたらしい。

Kさんからのその後の情報によれば、寒水村の名家が開発したもので、いまでいう地域活性化を先取りしたものらしい。ただ、時代を先取りしすぎて周囲はついていけないという面もあったようだ。

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(左)少し上ったところから斜面を見おろす。

スキー場があった年代は40年以上昔だろうか。その頃はいまほどマイカーでスキーに出かける人は多くなかったと思う。とすれば、県道沿いのバス停から歩いたのだろうか。その時代には、スキー場まで数キロ歩くなどは当り前だった。そんなことをKさんと話ながら、山を下った。(現地訪問:2016年8月)

2014年11月22日

中津川スキー場(岐阜県中津川市)

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(左)恵那山への黒井沢登山口。(右)恵那山への登山口を過ぎて、スキー場跡地に向かうには橋を渡る。ゲレンデ跡は右手奥。

3年ほど前に、本ブログのコメント欄に以下のような投稿をいただいた。「恵那山岐阜県側の黒井沢というところに昔スキー場があったそうです。愛知県在住の老スキーヤーが恵那山でスキーしたことあると言ってましたので、たぶんそこではないかと。今はオフロードパークになっているようです」

ずっと気になっていたのだけれど、最近になってこのスキー場についての資料を見つけた。「県別シリーズ18 郷土資料事典 岐阜県・観光と旅(人文社、昭和44年5月1日初版、昭和49年8月20日改訂版)」には以下のように記載されていた。「中津川スキー場(初級~中級向)所在地:市内川上黒井沢、交通:中津川駅からバスで約1時間10分、施設:ロープトー2基・トロイカ2基、宿泊:民宿25収容500人、ロッジ3収容120人、期間:12月下旬~3月中旬」ロープトー2基・トロイカ2基とあるから、それなりの規模だったと思われる。

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(左)オフロードパーク入口。「許可なく立ち入り禁止」と書かれている。(右)オフロードパーク入口付近から見たゲレンデ斜面。

中津川とスキーのイメージは結びつきにくい。冬に中央西線で長野から名古屋に向かうと、木曽福島・上松あたりではそれなりの積雪であっても、南木曽あたりからは少なくなり、中津川では雪の姿は見えないことが多い。ただ、市街地からは離れた恵那山麓という場所なので、積雪が多かったのかもしれない。

現地を訪れたいと思っていた。現地に通じる林道は長らく通行止めだったが、それも解除されたので10月の秋晴れの休日に出かけてみた。中津川市街から、その名も中津川という川に沿って国道363号を南下する。川上という集落で左折して川を渡る。ここからは約10km、中津川縁にへばりつくような曲がりくねった舗装林道をたどる。北から黒井沢という沢が合流する地点は、恵那山への登山口。10台ほどの登山者の車がとまっている。その先、橋を渡ると右手に黒井沢オフロードパークの入口があらわれる。

オフロードパークの入口には施錠されて、無断立入禁止などと書かれた立札がある。そこから敷地内の様子をうかがうと、スキーに適した斜面が広がっているように見える。スキー場の名残を感じられるようなものは何もない様子だ。現在はオフロードパークなので、それなりのかたちに斜面は変えられているようだが。周囲から斜面を見渡せる場所がないかと探し回ったが、深い樹林に囲まれていてなかなかよい場所が見つからなかった。ふと見上げると、紅葉をまとった恵那山が見下ろしているかのようだった。(現地訪問:2014年10月)

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(左)上部の樹林の合間から見おろした斜面。

2013年01月26日

正ヶ洞スキー場(岐阜県郡上市)

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(左)たかす町民センター・図書館の前から。前方の鉄塔の向こう側の斜面がゲレンデだった。(右)ゲレンデ上部を見上げる。

奥美濃方面に出かけ、国道156号を走りながら「このあたりにあったのかな」と気になっていたのが、正ヶ洞スキー場。一度は高鷲図書館で受付の女性に尋ねてみたが、聞く相手を間違えたようでご存知なかった。多くの場合、廃スキー場探索で女性からあまり情報を得られたことはない。今回はたかす町民センターの窓口にいた年配の小父さんに尋ねてみると、「正ヶ洞スキー場なら、この前の道を向こうに行って下りはじめる手前の鉄塔のあたりにあったよ」と丁寧に教えてくれた。事前に地図などで予想していたとおりの場所だった。

町民センターの前の道を南西方向に向かうと、道の右側(山側)に送電鉄塔がある。その左側(西側)の斜面がゲレンデの跡のようだ。南向きの穏やかな斜面に見えるが、背の低い潅木やススキが生い茂っていて、痕跡はそれらの中に半ば飲み込まれつつあるようだ。斜面のようすからすると、道路のやや下までゲレンデがあったのではないかと推測される。何年か前まではリフトの残骸などが残っていたという情報もあるが、いまとなってはスキーに関係する痕跡はまったく見出せなかった。80年代末期にリフトが故障して、そのまま廃止になったという。

「高鷲村史・続編(昭和61年2月)」には「昭和31年1月、高鷲小中学校専用のスキー場として開設された。39年11月16日、賀陽宮恒憲を迎え改めて開場式を行った。昭和42年、スズケン医療株式会社社長鈴木鎌三の好意により、リフト1基が設置され、村が無償借用した。スキー場の経営は正ヶ洞区に委託されたが、59年からは村教育委員会の主管となった。」と記載されている。

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(左)鉄塔の場所からゲレンデ下部を見おろす。下部は正ヶ洞の集落、前方の山腹には東海北陸道が走っている。

「'76オールスキー場完全ガイド(立風書房)」の記載には「ゲレンデは斜度15度から35度まで、初級から上級まで幅広く楽しめる斜面が作られている。とくにゲレンデの中間から下はゆるやかな傾斜が続き、ビギナーの練習にはもってこい。また、このスキー場はひるがの高原スキー場とツアーコースでつながっており、上級者は2つのスキー場を楽しめる。雪質・雪量ともにすぐれており、常連のスキーヤーが多い。リフトは1基(200m)、ナイター・スキー学校なし、国鉄・名鉄バス名金線正ヶ洞下車徒歩5分」と紹介されている。

正ヶ洞の集落からは国道156号をこえた北側の山沿いにあり、周囲には棚田が広がっている。正ヶ洞からは歩ける距離であるし、国道156号からも近い。しかし、周囲に大規模なスキー場が林立するいまとなっては、ほんとうに小さなゲレンデに見える。長良川の谷を隔てた対岸には東海北陸道が走っているのが見えた。ここにスキー場があった頃には、あの高速道路は存在しなかったと考えると、何だか妙な気がした。(現地訪問:2012年12月)

2012年07月28日

揖斐高原スキー場貝月ゲレンデ(岐阜県揖斐川町)

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(左)ゲレンデ入口の案内板。「貝月スキー場」と書かれた部分が破損している。(右)栃の実荘前の駐車場から見た貝月ゲレンデ。

以前、本ブログで坂内ゲレンデの廃止について取り上げた。その坂内ゲレンデのコメント欄に寄せられたとおり、2009シーズンから貝月ゲレンデも営業をやめていることがわかった。現在は日坂ゲレンデのリフト2本を残すだけの営業となっている。

貝月ゲレンデは揖斐高原の3つのゲレンデ(貝月・日坂・坂内)の中では、一番手前に位置していた。栃の実荘という立派なレストハウスもあり、一番取り付きやすいのかと思っていたが、最下部なので積雪にも問題があったのかもしれない。

「久瀬村誌(昭和48年3月)」によれば、「揖斐高原スキー場は(中略)昭和38年12月、大垣市に本社を持つ揖斐高原観光開発株式会社(社長・久世弥平)により開設された。積雪も1.5m~3.5mと多く、高度が大で積雪が粉雪でよいし、ゲレンデは広大で、上中初級向の各斜面があるなど、スキー場としての自然条件は良好である」と説明されていて、往時は環境に恵まれたゲレンデと認識されていたようだ。

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(左)貝月第2リフト乗場から見上げたゲレンデ。(右)貝月第1リフトとゲレンデ。

久しぶりに揖斐川町の中心部から揖斐高原を目指す。長い久瀬トンネルを過ぎてしばらく行ったところにある国道303号からの分岐部には、まだ貝月・日坂の文字が併記されている。その先、山間の道を経てたどり着いたゲレンデ入口には、さまざまな案内看板が立てられているが、貝月リゾートの案内板の一部を構成している「貝月スキー場」の部分が破損しているのが寂しさを感じさせる。

アクセス道路を進むと貝月ゲレンデの下、栃の実荘前の広い駐車場に導かれる。リフト施設はそのまま残されているが、チェアは取り外され、一部は仮小屋のようなものの中にしまわれてしまっている。周囲にはコテージなども散在していて、冬期以外のリゾート施設としては利用されているようだ。

再び「久瀬村誌」から引用すると「夜間照明もあって、土曜・日曜や祝祭日には夜のスキーも楽しめる。積雪の状況によって、12月初めからスキー可能の年もあるが、普通の年では12月20日にスキー場開きが行われる。スキー客の多いのは1月と2月で、昭和42年発行の岐阜県の観光によるとスキー客76,600人のうち、1月31,200人、2月37,600人となっていて、大部分のスキー客はこの2ヶ月に集中しているし、交通至便な位置にあるため、マイカー族による日帰りスキー客が大部分であるのが特色となっている」と記載されている。

この記載は揖斐高原スキー場全体を指した話であるが、交通至便のスキー場としてナイターまで賑わいを見せていた当時の様子を感じることができる。(現地訪問:2012年6月)

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(左)栃の実荘前にあった案内板には、貝月・日坂両ゲレンデのリフトがまだ記載されていた。(右)営業を続けている日坂ゲレンデ。