その前にまず、前回は記述しなかった「獅子吼」という名の由来と、このスキー場の歴史について触れておきたい。獅子吼とは、白山を開山した泰澄大師が荒行の宿とした四宿(ししゅく=白山堂、仙ノ堂、胡麻堂、浄行堂)に、仏教経典の言葉をあてたものといわれている。それが『相手が誰であれひるむことなく、正しいことをいう勇気ある姿勢(=獅子のように物怖じしない)』をさす獅子吼という言葉である。この土地と白山信仰のつながりを感じさせる。
(左)1980年頃のゲレンデマップ(一部、現在の状況を補筆)。(右)山麓から山腹を見上げると日本海コースの痕跡がわかる。
獅子吼高原の観光開発は、大正末期に設定された町営鶴来スキー場にさかのぼる。1959年にロープウエイが完成、1960年に「獅子吼高原スキー場」として営業を開始した。もっとも拡張されていた時期(1980年頃)には、ロープウェイのほか、リフト・ロープトウあわせ7基が稼働していた。しかし白山麓に新設ゲレンデが次々登場したことや、積雪が少なくなりスキー利用者が減少。山頂から麓まで滑降する「日本海コース」に雪が付かず、魅力が減ったことも原因ともいわれている。
1996年に経営主体がいったん解散し、同年6月に総合レジャー施設として再オープン。スカイ獅子吼・パーク獅子吼となった。旧獅子吼高原スキー場にあった「日本海コース」・「北沢ゲレンデ」の滑降スロープは廃止され、直近では滑降コースは、スノーボード専用コースとファミリーゲレンデを兼ねた旧「南沢ゲレンデ」のスロープのみとなっていた。
山麓部のパーク獅子吼の諸設備の前に立って山腹を見上げると、山頂部からの「日本海コース」の痕跡がはっきり見渡せる。緑色の針葉樹林や紅葉の広葉樹の間に、樹林のないコースが認められる。ゴンドラと並行して、少し右側にはリフト(第1レインボー)の切り開きの痕跡も見て取れる。そのリフト乗場には残念ながら痕跡らしきものは残っていなかった。しかし目を凝らすと、はるか上部にはリフト乗場(第2レインボー)の機器が残っているのがわかった。スキー場オープンのニュースを聞く12月初旬であるが、雪の気配すら感じられなかった。降雪の減少は明らかで、このコースに雪が付くことは難しいのだろうと容易に想像できた。
(左)日本海コース痕跡の上部に見える第2レインボーリフト乗場跡。(右)山頂部(旧南沢ゲレンデ下部)の日本海コースへの下降点。
一方、スカイ獅子吼に上がると、旧南沢ゲレンデの下部右手(西側)には日本海コースへの入口の痕跡がはっきりわかった。ススキが生い茂る斜面の下には手取川の流れが見える。下がどうなっているかわからないような急斜面である。少し滑り降りるとコースは向きを変えて、日本海が見えるようになるのだろう。おそらくは上級者だけに許された急斜面だったと思われるが、日本海を眺めながらの滑降はどんな気分だったのだろうか。(現地訪問:2015年12月)
こちらもご覧ください → 「獅子吼高原スキー場[スカイ獅子吼 南沢ゲレンデ]」
「獅子吼高原スキー場[北沢ゲレンデ]」