2015年12月27日

獅子吼高原スキー場[日本海コース](石川県白山市/金沢市)

前回に引き続き、獅子吼高原についてのレポート。今回は以前に廃止されていた日本海コースを中心に取り上げたい。

その前にまず、前回は記述しなかった「獅子吼」という名の由来と、このスキー場の歴史について触れておきたい。獅子吼とは、白山を開山した泰澄大師が荒行の宿とした四宿(ししゅく=白山堂、仙ノ堂、胡麻堂、浄行堂)に、仏教経典の言葉をあてたものといわれている。それが『相手が誰であれひるむことなく、正しいことをいう勇気ある姿勢(=獅子のように物怖じしない)』をさす獅子吼という言葉である。この土地と白山信仰のつながりを感じさせる。

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(左)1980年頃のゲレンデマップ(一部、現在の状況を補筆)。(右)山麓から山腹を見上げると日本海コースの痕跡がわかる。

獅子吼高原の観光開発は、大正末期に設定された町営鶴来スキー場にさかのぼる。1959年にロープウエイが完成、1960年に「獅子吼高原スキー場」として営業を開始した。もっとも拡張されていた時期(1980年頃)には、ロープウェイのほか、リフト・ロープトウあわせ7基が稼働していた。しかし白山麓に新設ゲレンデが次々登場したことや、積雪が少なくなりスキー利用者が減少。山頂から麓まで滑降する「日本海コース」に雪が付かず、魅力が減ったことも原因ともいわれている。

1996年に経営主体がいったん解散し、同年6月に総合レジャー施設として再オープン。スカイ獅子吼・パーク獅子吼となった。旧獅子吼高原スキー場にあった「日本海コース」・「北沢ゲレンデ」の滑降スロープは廃止され、直近では滑降コースは、スノーボード専用コースとファミリーゲレンデを兼ねた旧「南沢ゲレンデ」のスロープのみとなっていた。

山麓部のパーク獅子吼の諸設備の前に立って山腹を見上げると、山頂部からの「日本海コース」の痕跡がはっきり見渡せる。緑色の針葉樹林や紅葉の広葉樹の間に、樹林のないコースが認められる。ゴンドラと並行して、少し右側にはリフト(第1レインボー)の切り開きの痕跡も見て取れる。そのリフト乗場には残念ながら痕跡らしきものは残っていなかった。しかし目を凝らすと、はるか上部にはリフト乗場(第2レインボー)の機器が残っているのがわかった。スキー場オープンのニュースを聞く12月初旬であるが、雪の気配すら感じられなかった。降雪の減少は明らかで、このコースに雪が付くことは難しいのだろうと容易に想像できた。

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(左)日本海コース痕跡の上部に見える第2レインボーリフト乗場跡。(右)山頂部(旧南沢ゲレンデ下部)の日本海コースへの下降点。

一方、スカイ獅子吼に上がると、旧南沢ゲレンデの下部右手(西側)には日本海コースへの入口の痕跡がはっきりわかった。ススキが生い茂る斜面の下には手取川の流れが見える。下がどうなっているかわからないような急斜面である。少し滑り降りるとコースは向きを変えて、日本海が見えるようになるのだろう。おそらくは上級者だけに許された急斜面だったと思われるが、日本海を眺めながらの滑降はどんな気分だったのだろうか。(現地訪問:2015年12月)

こちらもご覧ください → 「獅子吼高原スキー場[スカイ獅子吼 南沢ゲレンデ]」
                「獅子吼高原スキー場[北沢ゲレンデ]」
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2015年12月13日

獅子吼高原スキー場[スカイ獅子吼 南沢ゲレンデ](石川県白山市/金沢市)

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(左)山麓部から見た獅子吼高原全体。(右)ゴンドラ乗場から山頂部を見上げる。

鶴来町は手取川扇状地の扇頂に位置し、白山麓への玄関口として加賀国一宮・白山比咩神社も立地する歴史ある土地。現在は白山市の一部となっている。そんな鶴来の町の裏にある獅子吼高原は、手取川扇状地を俯瞰できる景勝地である。後高(しりたか)山には古くからロープウェイ・ゴンドラが架けられ、観光地として、またスキー場として人気を集めてきた。近年は積雪が減少し営業ゲレンデも縮小されてきて、先行きを心配していた。その心配のとおり、本年11月になって獅子吼高原のホームページに今季の営業中止が発表された。

「『スカイ獅子吼冬季営業についてのお知らせ』諸般の事情により今年度のゲレンデ(スキー場)営業を中止させていただくこととなりました。ゲレンデ営業を楽しみにされている方々にはご迷惑をおかけしますが何卒ご理解いただきますようお願い致します。(後略)」なお、他の観光・スポーツの諸施設の営業は継続される。総合的なレジャー施設として運営されていて、スキー場はごくその一部という位置づけだったのだろう。山頂部からの展望を楽しむだけでも、価値のあるところだと思う。

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(左)ゴンドラ乗場前の施設案内図。(右)ゴンドラ乗場入口にスキー場営業中止の案内。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」では、「スカイ獅子吼」を以下のように案内している。「獅子吼高原の通年型スキー・スノーボードゲレンデ。ゲレンデには人工スノーマット『リンクロン』を敷きつめてあり、冬は天然雪に変身。ソリ専用ゲレンデ、ナイター、レンタルあり。ベースの鶴来町は古い温泉町。リフト:ゴンドラ1基、ペア1基。スノーボード:全日・全コース滑走可能。レンタル、スクール、ハーフパイプあり。鉄道:北陸鉄道加賀一の宮駅(現在は廃止)から徒歩。車:北陸道金沢西ICから(中略)20km30分」。

直近まで冬季営業を続けていたのは山頂部(スカイ獅子吼)にあるゲレンデ。多くのゲレンデがあった時期には「南沢ゲレンデ」と呼ばれていたところ。獅子吼高原は、現在、山麓部の「パーク獅子吼」と山頂部の「スカイ獅子吼」に分かれている。山麓部にはバーベキュー広場や獅子頭・木彫・造り物の展示館などがある。ゲレンデの様子を知るため山頂部のスカイ獅子吼に行くには、ゴンドラに乗車しなければならない(登山道もある)。

12月初旬の晴天の一日、獅子吼高原を訪れる。駐車場脇のゴンドラ乗場への入口には「ゲレンデ営業中止」の案内掲示があった。往復1,100円のチケットを買い、ゴンドラに数分間乗車してスカイ獅子吼へ。手取川に沿う平野とその向こうに日本海までの素晴らしい展望が開ける。山頂部にはセンターハウス・カート・アスレチック・バンガロー・ソリゲレンデなどの諸設備がある。ゴンドラ山頂駅に隣接した場所から、パラグライダーが次々と飛び立っていった。

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(左)ゴンドラで山頂部に上がると素晴らしい展望。パラグライダーの発進拠点にもなっている。(右)センターハウス前には、ペアリフトの降場。右手は人工芝のソリゲレンデ。

ゴンドラ山頂駅に連続するセンターハウスを出ると、目の前には直近まで営業していたゲレンデ(旧南沢ゲレンデ)のリフト降場。見おろすとリフト乗場、ゲレンデ最下部が見える。斜面中央に架かっているペアリフトはチェアもつけられたままの状態で、雪さえあればすぐにでも営業開始できそうだ。リフト両側にハーフパイプやさまざまなアイテムの痕跡が見られ、ボーダー中心だったことがうかがえる。隣接して人工芝のソリゲレンデも設けられていた。

ゲレンデは南斜面。パラグライダー発信地とは反対側で、日本海の眺望は得られない。かわりに遠く白山方面の山並を正面に見ながら滑ることができたはずだ。平均15度ほどで一定の緩斜面は基礎練習には最適だったと思われる。暖冬とはいえ周囲の山並みには雪の気配はなく、近年では積雪に難があったのだろうと思われた。(現地訪問:2015年12月)

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(左)下部から見上げたゲレンデ。この上部にゴンドラ山頂駅とセンターハウスがある。(右)上部から見下ろしたゲレンデ。遠く前方は白山方面の山並み。

こちらもご覧ください → 「獅子吼高原スキー場[日本海コース]」
                「獅子吼高原スキー場[北沢ゲレンデ]」
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2013年11月20日

卯辰山スキー場(石川県金沢市)

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(左)花木園下には四阿がつくられその下まで緩やかな斜面が続いている。(右)花木園の下から斜面を見上げる。

北陸の古都・金沢。北陸新幹線金沢までの開業も間近に感じられるようになった昨今、今後のこの都市の行方が気になるところ。金沢在住の知人は「金沢も東京のようになっていくと考えると、決して歓迎ばかりもしていられない」と話していた。金沢の人は、独自に北陸の文化の中で生きてきたという自負心をもっているように感じられる。幕末から明治維新の頃の金沢は、東京・大阪・京都・名古屋に次ぐ人口を誇る日本第5位の都市だったという記録がある。

そんな金沢市街地の背後にある小丘陵が卯辰山。市街地から見て、卯辰(東)の方向にあることから名がついたという。この丘陵に金沢市民御用達の「卯辰山スキー場」があった。

卯辰山一帯には山稜に車道がつけられ、各所に駐車場や休憩施設などが設備されている。そんな一角にある花木園は、かつての卯辰山スキー場の跡地を造成したもの。ツツジ・ヤマザクラ・ハナミズキなどが季節ごとに花を咲かせ、遊歩道も整備されている市民の憩いの場である。

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(左)花木園上部から斜面を見下ろす。(右)花木園最上部の出入口。前は車道が通じている。

いまは最下部に四阿がつくられ、最上部は稜上を走る車道に接している。思ったよりも急な斜度である。前方に小さな山があり、それが風を防いでこの斜面のコンディションに貢献していたと思われる。北東向きの斜面なので、残念ながら金沢市街地を眺望することはできない。

現在までの調査ではリフト・ロープトゥなどの施設があったのかわからない。営業終了の時期もわからないが、30~40年ほど前だろうか。現在ではスキー場の形跡を示すものは何も残ってはいない。大正年間からスキー場として開設された記録があるから、長い歴史をもっていたのだろう。次第に市民スキー場の機能はキゴ山スキー場(医王山スキー場)に移っていったようだ。(現地訪問:2013年11月)

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(左)望湖台から見た金沢市街地。卯辰山スキー場とは反対方向。(右)望湖台にあった地図。スキー場の場所は延王子川の北西にある斜面。
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2012年07月14日

鳥越高原大日スキー場(石川県白山市)

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(左)駐車場入口のゲート看板は破損していた。(右)駐車場付近から見上げた第1リフト。

2012シーズンの営業を最後に休止ということになった鳥越高原大日スキー場。何年か前に経営方法をかえたり、稼動リフトをスリム化したりして存続への努力が続けられてきた様子はなんとなく知ってはいたが、ついに営業を休止することとなった。1970年の開設、1980年代のスキーブームの頃は、小松市の大倉岳高原スキー場とロープウェイで接続する構想もあったが、後のブームの衰退により計画は消滅した。2008~2009シーズンはリニューアルのため休業し2011シーズン再オーブンしたが、2012が最後のシーズンとなりそうである。

同じく営業休止となる瀬女高原が国道沿いの便利な場所にあるのに比べて、こちらはかなり山深いところにある印象だ。国道157号を下吉野あたりで西に折れて、まだ残されている案内標識に従って車を進める。ときにか細くなりスノーシェッドをくぐる谷あいの道をたどる。こんなところにと思う場所にも集落があるが、廃屋も多いのか人の気配はあまり感じられない。

たどり着いたスキー場入口の「とりごえこうげん」と書かれた看板は、半分壊れていた。その先には広い駐車場。左手に第1ペアリフトが残っている。パラで架かる左側のシングルは随分前から動いていなかったようで、錆び付いている。その先には立派なセンターロッジが2棟並び立っている。ロッジの間を通ってゲレンデ下に立つと、左手にリフト券売場の小屋。小屋には「おとな2,000円、こども1,000円」という掲示が残されていて、最後の頃はかなり格安な料金設定であったことが分かった。

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(左)立派なセンターロッジの建物。(右)センターロッジ前から見上げたゲレンデ。第4・第5ペアが残っているのが見える。

リフトは随分上のほうに、最後まで稼働していた第4・第5ペアが残っているのが見える。ゲレンデマップを見たとき、どのようにリフトに乗るのかと思ったが、いったん、左下にある第1リフトに乗って、はじめて第4・第5リフトに乗れるような構成になっていたようだ。その他の第3ペアや右手上部に通じていた第6ペアの痕跡は残されていない。いろいろな活用の方法も考えられているようで、ハイキングコースを示す案内表示も見ることができた。ゲレンデ脇にはさまざまな花が咲いているのを見ることができた。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には、「大倉岳の北斜面に位置し、大日湖を眼下にする標高650mのゲレンデ。ここは村ぐるみで開発したユニークなスキー場ですべてが村の直営。ゲレンデから少し離れた「バードミング鳥越」はアクアランド、プール、レストラン。リラックスルームを備え、日帰りでも宿泊でもOK。標高は低いが良質な雪に恵まれ、白山、日本海の眺望が見事」と記載されている。

最盛期にはペア6基、シングル2基のリフトを備えていた。最大斜度32度、最長滑走距離1400m。最後の頃はファミリー層を中心とした集客を狙っていたと思う。なお、当時は鳥越村であったが、現在は白山市に合併されている。ここも市町村合併により、存続が難しくなったスキー場のひとつといっていいのではないだろうか。(現地訪問:2012年5月)

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(左)少し登ったところからロッジ付近を見おろす。
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2012年06月30日

白山瀬女高原スキー場(石川県白山市)

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(左)国道沿いの道の駅の前から見たゲレンデ。まだ、「瀬女高原スキー場」の案内が残る。(右)広い駐車場とその奥にセンターハウスとゴンドラ乗場。

白山麓にあるスキー場の動向についてはずっと気になっていたのだが、ついにこの瀬女高原と鳥越高原の営業休止というニュースが先シーズンさなかに伝えられた。2012シーズンの営業を最後に休止ということになったという。

中日新聞(2011年12月)によれば、「リフトなどの施設を所有している三セク、白山レイクハイランドが七月に会社解散を決議。特別清算中の今季は債権者の同意を得てSAMが営業するが、新たな支援企業が現れない限り来季の営業は難しい」と報道されている。「瀬女高原がオープンした1991年度は、12万5千人が来場。しかし、個人消費の低迷やスキー人気の低下により近年は入場者5万~6万人台の年がほとんどになり、赤字に歯止めがかからなくなった。SAMに運営委託し、スキー場施設の賃貸に専念しても改善には至らず、2010年度は2億9千万円の赤字を出した」という。村(旧尾口村・現白山市)や三セクが整備計画を進める一方、スキー客は金沢などから来て日帰りで何も買わず帰るため、集落の商売にはあまり影響がなかったという声もある。

金沢方面から福井県南部に抜ける国道157号。私も何度か通ったことのある道だが、いつも気になっていたのがこの瀬女高原スキー場だった。国道沿いに下部のファミリーコースが見えるのだが、ゴンドラに乗るとずっと奥まで懐の深いゲレンデだと知ったのは、ゲレンデガイドを見てからだった。

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(左)センターハウス前から見たファミリーコースのリフトとゴンドラの鉄柱。(右)センターハウスの中庭から見たゲレンデ。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には、「白山連峰のふところ、国道157号線沿いという便利な場所にあり、ゴンドラリフトと、最長3.4kmのロングコースを主体としたスキー場。ゴンドラを上ったピーク部からは白山、加賀平野、手取ダム湖、日本海の眺望が開ける。チロリアン風のセンターハウス、90畳敷きのくつろぎの大広間、評判のパウダールームなど施設も充実」と案内されている。ゴンドラ1基のほか、クワッド1基・ペア2基の施設があった。最上部からは、ドキドキコース・ワクワクコース・ルンルンコースという名のコースがあり、ゴンドラに沿って3.4kmのパノラマコースがあった。最大斜度は31度。1991年に開設された石川県内では最も新しいスキー場であって、あのトニー・ザイラーが設計したという。

新緑の5月、金沢方面から国道157号を南下する。道沿いには、まだスキー場の案内板が残されている。道の駅・瀬女の先を右折し、瀬女トンネルの手前から左に曲がればセンターハウス前の広い駐車場に導かれる。センターハウスの建物はそのままで、その一角ではピザ屋が営業をしているもよう。最下部のファミリーリフトもゴンドラも搬機をはずされたままで、そのまま残されている。営業時とあまりかわらない佇まいだが、もうスキー場として賑わうことはないのかもしれない。(現地訪問:2012年5月)

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(左)ファミリーコースを少し上がったところからセンターハウスを見下ろす。

【追記】
10年にわたって営業休止の状態が続いているが、営業休止から廃止に向けて検討が進められていることが報道された。(2022年4月、北國新聞)
posted by 急行野沢 at 03:00| Comment(7) | TrackBack(0) | 石川県 営業休止のスキー場 | 更新情報をチェックする