2020年12月17日

わかぶな高原スキー場(新潟県関川村)

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(左)ゲレンデ最下部から見上げる。(右)ゲレンデ最下部のクワッド乗場付近を見おろす。(いずれも2015年3月)

わかぶな高原には2015年3月に一度だけ、訪れたことがある。新潟県内のスキー場を踏破する目的であった。もう少しローカル色の強いゲレンデかと思っていたが、クワッドで上がったところから擂鉢状にコースが広がり、スノーボードの若者が多くて思っていたよりも明るい雰囲気。3月に入り雪質が悪かったのは残念だったけれど、周囲の景観は素晴らしく日本海まで見渡すことができた。

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(左)クワッドから降りて第3ペアを見上げる。(右)クワッド上から第1・第2ペア方面を見る。(2015年3月)

そのため、場合によっては短時間で切り上げるつもりだったけれど、結構長居をすることになった。中級者に面白かったのは第1ペア沿いだった。わかぶな高原スキー場は1987年、まさにバブル最盛期に開業。スキー場内の各施設も何となくバブル期創業の雰囲気を感じさせた。昨シーズンは雪不足のため1日も営業できなかった。

スキー場や村のホームページで明言されてはいないが、少なくとも今シーズンの営業は休止となったと思われる。また、状況を見ると来シーズン以降の営業も厳しいようだ。本年8月の新聞報道によれば「新潟県関川村は31日、わかぶな高原スキー場の運営会社に対して、施設からの立ち退きを要請した。同スキー場は赤字経営が続いており、村長は取材に対して『退去期限を延長しても、赤字体質から脱却する具体的な根拠が示されなかった』と説明した」とのことであった(新潟日報)。

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(左)アクセス道路にはスキー場の案内板。(右)センターハウス入口には「立入禁止」。(2015年10月)

さらに「村長はスキー場を村が直営する考えはなく『今冬のスキー場営業は極めて難しいだろう』との見方を示した」と掲載されていた。9月村議会では「現在、撤退の準備をしている状況」と報告されている。10月にわかぶな高原の入口まで行ってみたが、「立入禁止」と表示され敷地内に入るのは憚られた。ただ、センターハウス前に何台か車があり、何らかの作業が行われている様子だった。

『オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)』には「国道113号線荒川地域に温泉が数ヶ所存在する。ファミリーにメインゲレンデのわかぶなコース。上級者にはコブのハイテックコース」と紹介されていた。リフトはクワッド1基、ペア3基。下越地方のスキー場は昨シーズンの雪不足で大打撃を被ったところが多い。ここもそのひとつといえるだろう。(現地訪問:2015年3月、2020年10月)

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(左)遠目にゲレンデ上部を見上げる。見えているリフトは第3ペアか。(2015年10月)

→ 「わかぶな高原スキー場(その2)」2021年2月5日
posted by 急行野沢 at 22:18| Comment(3) | 新潟県 下越 営業休止のスキー場 | 更新情報をチェックする

2020年10月10日

村上市ぶどうスキー場[今シーズン営業休止](新潟県村上市)

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(左)国道7号線沿いにゲレンデがある。(右)ゲレンデ下から斜面を見上げる。

本年8月、村上市のぶどうスキー場が今シーズン(2020-21)の営業を休止することが報じられた。新型コロナウィルスの感染拡大防止のためと理由は説明されている。昨年は雪不足のため、1988年の創設以来、はじめて1日も営業できなかったが、2年連続で営業しないこととなった。

「同スキー場は(中略)、例年1万人ほどが利用している。運営のため市が毎年計上する4千数百万円に対し、売り上げ1千万円程度と赤字経営だが、レストランに地域住民が携わり、学生の冬のスキー授業に活用されるなど、冬の地域活性化の要となっている。また中上級者向けのコースもあり、熱心なスキーヤーも多い」

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(左)ゲレンデ下のセンターハウスと第1ペア乗場。

「村上市長は『冬のスキー場がオープンできないのは残念だが、市民の命と安全を守るのが最優先』と、やむを得ない判断であることを強調。『これまでも宿泊施設など観光施設には新型ウイルス対策で補助してきているが、冬場に向けて必要なのかも今後検討していきたい』と話した」(新潟日報)

「オールスキー場完全ガイド2000」には以下のように紹介されている。「国道7号沿いで、新潟市と山形県鶴岡市の中間点。ともにクルマで1時間40分の距離(当時は日本海東北道は未開通)。ファミリー向き。中・上級者コース3本とビギナーコースは1本。コンパクトながら変化に富む」

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(左)センターハウス前からゲレンデを見上げる。(右)ゲレンデ下部を見おろす。(いずれも2014年営業時)

2014年1月にはるばる滑りに訪れた。その前シーズンにはリフト運行無届という理由で営業休止しており、そのまま閉鎖になってしまうのではないか……と危惧したための訪問だった。ペアリフト2基だけのローカルゲレンデという先入観とは裏腹に、なかなか滑りごたえのあるゲレンデで驚いた。

直列につながる2本のリフトはいずれも長く、中上級者が楽しめる斜面が多くて、根強いファンが多いのも納得できた。最上部からの展望も素晴らしい。その日は正月休みだったので餅つき大会があり、きなこ餅が振舞われた。子ども連れも多く、賑わいを見せていた

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(左)第2ペア沿いのパノラマゲレンデ。(右)パノラマゲレンデを見上げる。(いずれも2014年営業時)

今回、あらためて訪問してみたが、再開の可能性もあるので施設に変化は見られない。国道7号沿いという立地のせいか、周辺に宿泊施設はあまりみつけられない。また、今シーズン休止の案内も見られなかった。1回滑りに行っただけなのだが、ローカルゲレンデとしてはレベルが高いという印象。休止理由をそのまま解釈すれば、コロナが収束すれば再開ということになるのだろうが、一抹の不安は感じてしまう。(現地訪問:2014年1月、2020年10月)
posted by 急行野沢 at 23:50| Comment(1) | 新潟県 下越 営業休止のスキー場 | 更新情報をチェックする

2014年07月18日

弥彦山頂スキー場(新潟県弥彦村)

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(左)展望食堂付近から見たゲレンデの跡地。右手のロープウェイ駅から前方に下り、その向こうの鞍部から先は登りの斜面。(右)稜線上から見た日本海。あいにくの梅雨空にアジサイが咲いていた。

山国信州に住むものにとっては、どこまでも続く越後の稲田は圧倒的な風景に感じられる。さすがは米どころであるが、そんな新潟平野の一端にきりりと頭をもたげているのが弥彦山。周辺のどこからもそれとわかる姿を見せ、麓には弥彦神社が鎮座している。最近のパワースポットブームの中で、なかなかの人気を集めているようだ。そんな弥彦山の山頂部にスキー場があったことを知ったのは「スキー天国にいがた(新潟日報事業社、1975年12月)」の記載によるもの。

同誌には、以下のように紹介されている。「弥彦山は佐渡弥彦国定公園の中心となる観光地で、山麓一帯に日本海・佐渡島をみおろす眺望が素晴らしく、ゲレンデは頂上からの稜線を利用しているので、眼下に大海原を見る豪快なスリルを味わえる。スキー場に隣接して、3階建の展望ビルがあり、パノラマレストラン・売店・遊戯施設が揃っている。ロープウェー1,000m。弥彦駅バス3分。」

弥彦山のロープウェイが開業したのが1958年(昭和33)。このスキー場の開設も同じ年だから、ロープウェイはスキー場も念頭に置いて開発されたものだろう。廃業は1975年(昭和50)のようだ。

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(左)鞍部の北側の斜面を見上げる。(右)鞍部の南側の斜面を見上げる。前方に展望食堂・パノラマタワーが見える。その後方が山頂。

梅雨がまだ明けない、小雨が降ったりやんだりの7月の休日。所要で新潟市に出かける途中に、弥彦山に立ち寄る。まずは弥彦神社に詣でなければなるまい。東側の駐車場から参道を歩いて拝殿の前に出ると、背後には弥彦山頂付近の稜線が見える。やはりこの山自身が神様なのだなと思う。次に車で弥彦山スカイラインを走って山頂付近へ。駐車場に車をとめ、クライミングカーという箱のようなものに乗って稜線に出る。後からこれに乗らなくても歩いて稜線まで登れることを知って、後悔したのだが。パノラマタワーという塔のような建築が景観を著しく損ねているが、眼下に日本海が広がりその向こうには佐渡が見える。稜線上には展望食堂があってこの景色を眺めながら食事ができるようだ。その直下まで、弥彦神社側の麓からロープウェイが登ってきている。弥彦山の標高は東京スカイツリーと同じ634mだということだが、その山頂は稜線を少し南にたどったところにある。平野からそびえたつような立地だから、電波塔が林立している。

クライミングカーの係員の小父さんにスキー場のことを尋ねてみる。すぐ下のロープウエイ山頂駅から北に連なる稜線上にゲレンデはあったようだ。ロープウエイ駅からまず下り。現在、スカイラインが横切っている鞍部から向こう側が上り。最低鞍部を挟んでロープウェイ駅側と反対側にV字型のようにゲレレンデがあったようだ。ハンドリフトという(おそらく手で捕まるものと思われる)リフトがあったという。そんな景色を見ているとロープウェイから次々と観光客が降りてきた。歩く必要なく登れる山なので、観光地的な雰囲気はやむを得ないのかもしれない。最近では冬場の降雪に難があると思われるが、日本海を望んでの滑降はさぞ爽快だっただろうと思われた。(現地訪問:2014年7月)

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(左)鞍部にあった地図。現在地は鞍部。そこから左右(南北)にゲレンデがあった。(右)弥彦神社拝殿。背後に弥彦山の稜線。

2014年06月27日

鹿瀬スキー場(新潟県阿賀町)

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(左)統合により現在は使われていない鹿瀬中学校の校庭から。前方の山並の中にスキー場があった。(右)山中の道を進むと峠状の少し開けた場所がある。ここがゲレンデ跡。

新潟県の阿賀野川中流域の4町村が合併しててきた阿賀町。前回に引き続き、その阿賀町にあったスキー場を取り上げる。しかし、前回は旧津川町であったが今回は旧鹿瀬(かのせ)町。昔のガイドブックには「鹿瀬スキー場」と記載されているが、地元では天名(あまな)スキー場といった方が通りがいいようだ。

「スキー天国にいがた(1975年12月10日・新潟日報事業社)」には、「鹿瀬スキー場」として以下のように紹介されている。「昔から地元の人たちの町民スキー場として親しまれてきたスキー場で、シーズン中には町民スキー大会も開かれ、緩急の変化に富んだスロープは中上級向である。ただスキー場前まで車が入れないのが難点である。鉄道:新潟から磐越西線1時間30分鹿瀬駅下車、徒歩40分。施設:リフト1基。40mシャンツェあり。主な行事:町民スキー大会」。

昭和34年1月には、新潟県の高等学校スキー大会(アルペン競技)が開催されたという記録もある。また、昭和41年1月の同県大会ではジャンプ競技がここで行われた。「広報かのせ/昭和33年(1958年)12月1日第19号」には「天名スキー場にロープウエー着工。完成予定は12月15日」との記事がみられる。

鹿瀬支所近くで地元の小父さんに声をかけて、天名のスキー場のことを聞いてみる。よくご存じで「国道459号を津川方面に戻り旧鹿瀬中学校の手前を南の山間に入っていって、左に林道が分岐する小さな峠のあたり」といって地図まで書いて説明していただいた。その地図に従って車で行ってみると確かにスキー場の斜面らしい樹木の少ない一帯はあるのだが、そこだけではゲレンデとしては規模が小さすぎるしあまりに斜度がないと感じられた。どうもゲレンデの様子は想像しにくかった。

いったん山間部から平地まで戻ってどうしようかと考えていると、軽トラが通りかかったので運転している小父さんにまたもたずねてみる。「それじゃ、ちょっと行ってみようか」と現地まで行って説明をしていただいた。

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(左)ゲレンデ下から見上げる。前方左の山頂にジャンプ台があった。アルペン競技のコースは右側だったという。(右)ゲレンデの側面から見上げる。山頂から右に向かってゲレンデがあった。

ゲレンデの位置は先ほどの場所で間違いなかったが、現在は樹木が茂っている山頂部分までゲレンデが広がっていたようだ。山頂部にジャンプ台があり、それに向かって右手にアルペン競技の斜面があったと教えてもらった。付近にはクロスカントリーのコースもあったという。このスキー場をつくるとき、町の職員といっしょにこの小父さんも働いたという。当時のことなので。地元の人たちの力を集めて、機械によらずもっぱら人力によりつくり上げたようだ。

シャキッとした山仕事の恰好をして若々しく見えたその小父さんは、今年80歳になるという。その小父さんが若い頃のことだというから、もう50~60年近くも昔のことである。おそらく上記の「天名スキー場にロープウエー着工」という記事の頃にあたるのではないだろうか。ガイドブックには「リフト1基」と書かれているが、小父さんの記憶ではロープトウくらいしかなかったということだった。もちろん若いころは何回もここで滑ったということだが、もっぱら地元の子どものためのスキー場だったようだ。

地元の方に昔のゲレンデについて教えを乞うことはこれまでも多かったが、これほど親切に教えていただいたことはなかった。それほど鹿瀬の方にとっては、思い出深いスキー場だということだろう。地元の小父さんに、感謝。(現地訪問:2014年6月)

2014年06月07日

芦沢高原スキー場(新潟県阿賀町)

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(左)「狐の嫁入り屋敷」の庭にある行列を模した人形。(右)ハーバルパーク最上部には体験工房などの建物。

新潟市から南東方向、阿賀野川を遡った山間部にある津川町。いまは、鹿瀬町・三川村・上川村との合併により阿賀町となっている。古くは会津藩の領地であり、街中の道路がかぎ型に折れ曲がるなど重要な拠点であったことをうかがわせる。津川といえば思い起こすのが「狐の嫁入り行列」。麒麟山の狐火を起源とする民話をもとに、毎年5月3日におこなわれる祭には住民の10倍にも及ぶ観光客が訪れるという。また、町内には「狐の嫁入り屋敷」があり、行列のジオラマなどが展示されている。

そんな津川の町の背後にある芦沢高原。磐越道・津川ICから南側に登った山腹に開けている。この芦沢高原にスキー場があったことは「スキー天国にいがた(1975年12月10日・新潟日報事業社)」に記載されている。「津川町を中心に点在するスキー場のひとつで、スキー場施設の少ない下越地方の人たちには格好のゲレンデである。歴史も古く、家族連れに適した初中級向きのスキー場でいつも明るい雰囲気がただよっている。鉄道:新潟から磐越西線1時間30分津川駅下車徒歩40分。施設:食堂・休憩所1箇所」とある。

また、「観光と旅16 郷土資料事典・新潟県(人文社 昭和45年6月5日初版 昭和50年4月15日改訂版)」では、芦沢高原について「出角山(485m)の中腹の高原で、眼下に津川平野がひろがり、常浪川と阿賀野川が合流している。高原には芦沢高原寮があり、ベランダに立つと飯豊山をはじめ県境にそびえる山々が美しく展開している。夏には多くの若者たちがテントを張って燃えさかるキャンプファイヤーを囲み、冬はなだらかなスロープのゲレンデで雪煙りをあげながら滑降を楽しんでいる」と紹介されている。

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(左)ハーバルパークの下部から斜面を見上げる。(右)ハーバルパーク上部から斜面を見おろす。

現在、芦沢高原の最上部には「ハーバルパーク」が整備されている。園内にはハーブをはじめ季節ごとの花が咲き、体験工房ではハーブ石鹸づくりなどの体験を楽しむことができる。最上部の建物の前で、ハーバルパークの仕事をされている男性に尋ねてみる。彼の話では、まさにこのハーバルパークの斜面がスキー場の跡地だという。ただかなり整地されたので当時の斜面の面影はあまり残されていないようだ。子どもの頃、自分たちで雪を踏んでゲレンデを整備し滑ったという。ロープトゥぐらいの施設があったかどうか、記憶は定かではなかった。昭和55(1980)年頃はここで滑っていたという。ゲレンデ最下部はハーバルパークの敷地を過ぎて、その下のいまはテニスコートになっている場所あたりまでだったという。

斜面は適度な傾斜で、快適なスキーが楽しめたと思われる。やはり、もっぱら地元の人々のためのスキー場だったのだろう。ゲレンデ下部を見やるとかつては津川の町や阿賀野川まで見渡せたのかもしれないが、いまは樹林が育って視界を遮っていた。ハーバルパークには美しい花が咲き乱れていたが、天候が思わしくないせいか訪れる人はあまりいないようだった。(現地訪問:2014年6月)