2015年02月22日

柳津温泉スキー場(福島県柳津町)

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(左)町内の各所には「柳津温泉スキー場」の案内掲示が残っている。会津柳津駅前の地図にも。(右)只見川対岸から見たゲレンデ全体。センターハウスより上の第2ゲレンデに屈曲シュレップリフトがある。

柳津温泉スキー場は前々から気になっていた。それは、途中で屈曲する珍しいシュレップリフトがあったからだ。シュレップリフトはJバーリフトとも呼ばれる。「下るよりも上る方が難しいスキー場」「リフトに乗るためだけに来る人もいるスキー場」などとも呼ばれていた。早くそのシュレップリフトに乗りに行かねばと思っていたのだが、最近になってネット上の掲示で今シーズンからのクローズを知ることとなった。やないづ振興協会のサイトには「柳津温泉スキー場はクローズとなりました。長きにわたってご愛顧頂きまして誠にありがとうございました。」と掲示されている。

1979~81年にかけて整備され開業したというから、30年あまりの歴史だったことになる。まさにバブルの時期にあわせるかのような開業時期であり、ピーク時には年間1万人の利用があったという。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には、「柳津温泉がベース。温泉街からはわずか。宿泊は西山温泉街も利用できる。コースは3本、ナイターは木~土曜日。レンタルあり、スクールなし」と紹介されている。リフトはシングル2基と記載されているが、うち1基は上記のシュレップリフトである。最大斜度は35度、最長滑走距離800m。

ゲレンデの構成も少々変わっていた。只見川に沿う道の脇に駐車場と登行リフト的な第1リフト(シングルリフト)乗場がある。そのリフトには中間乗場があり、中間乗場から上の部分は第1ゲレンデとなっていた。リフト終点にはセンターハウス。そして、そのセンターハウスの上にシュレップリフトが架かっていた。このシュレップリフトは途中で右に屈曲している。第2ゲレンデがそのように曲がっているので、それにあわせて曲げたものと思われる。この屈曲点のロープの取り回しは複雑のようで、詳しくは索道関係のサイトを参照いただきたい(→「索道観察日記」「別冊つなわたり/ロープウェイに乗ろう」)。

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(左)第1リフト乗場。道を跨いでゲレンデへとワイヤーが伸びている。(右)なかば雪に埋まった第1リフト乗場のゲレンデマップ。上部だけ見えている。

柳津町については、会津の盆地から只見川に沿って少し山間に入ったあたり…という程度の地理的な感覚しか持ち合わせていなかった。しかし、観光ガイドなどによると福満虚空藏菩薩圓藏寺の門前町として栄えてきたという歴史が記されていて、少し印象を改めることになる。会津坂下方面から国道252号をたどり中心街に入れば、それなりの温泉街が形成され道沿いには名物の「あわまんじゅう」の看板があちこちに見られる。「赤べこ発祥の地」の掲示も見られるが、これも圓藏寺の歴史に由来するものだという。

そんな中心街から只見川を挟んだ対岸を見やれば、柳津温泉スキー場のゲレンデのほぼ全体を見渡すことができる。ゲレンデは深い雪に覆われている。上部ゲレンデのあたりまで上っていく林道があるはずだが、除雪されているはずもなく、シュレップリフトをはじめとする上部のようすを近くで確認するすべはない。雪のない季節に再訪したいと思う。ただ、シュレップリフトがそのままの状態であり、支柱やワイヤーも撤去されてはいないのが遠目にも見てとれた。

只見川沿いの第1リフトの乗場に行ってみる。リフト乗場は深い雪に覆われ、リフト券売場の小屋やゲレンデマップなども雪に埋もれている。リフトのチェアははずされているものの、ワイヤーは道を跨いでゲレンデへと続いていた。リフト乗場のすぐ後ろには、奥会津の雪深い山々から水を集めた只見川が滔々と流れていた。(現地訪問:2015年2月)

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(左)第1リフト乗場のリフト券売場。
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2015年01月25日

あだたら高原スキー場・あだたらエクスプレス(福島県二本松市)

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(左)リフト乗場にあったゲレンデマップには、あだたらエクスプレスに沿うコースは「今期閉鎖」と表示。(右)子ども連れが多い印象を受けた。

1990年2月に職場の仲間と奥岳温泉に宿泊して、あだたら高原に滑りに出かけた。ちょうど「あだたらエクスプレス」というゴンドラが登場して、スキー雑誌などにも大きく取り上げられたシーズンだった。それまであまり知名度が高くなかったこのスキー場も、このゴンドラの登場によって一気にメジャーなスキー場の仲間入りをしたかに思えた。

この年はあいにく雪が少なく、あだたら高原のゲレンデも至るところに、草や土が顔を出していた。あだたらエキスプレスで上った最上部からのコースは急斜面が多くて、雪の付きがよいとはいえず、結構滑るのに苦労した記憶がある。その後も夏に安達太良山に登山する際には、この「あだたらエクスプレス」のお世話になった。

「日本のスキー場・東日本編1991(山と渓谷社)」によれば「昨シーズン、リフト名もコース名も一新してファッショナブルなイメージのスキースポットに生まれ変わったあだたらスキー場。今シーズンは'90シーズンのゴンドラリフトの新設にともなって登場したハリケーンスラローム上部とミルキーウェイのコース整備が行われ、いずれも滑りやすくなった」と紹介されている。当時はゴンドラのほか、ペア3基、シングル2基のリフトを備えていた。現在はクワッド1基、ペア3基。東北道・二本松ICからは16kmのアクセスである。

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(左)あだたらエクスプレスの乗場のシャッターは閉まっていた。(右)ゴンドラのワイヤーには搬器は取り付けられていない。

2013年11月、あだたら高原スキー場の公式サイトに「あだたら高原スキー場2013-2014スノーシーズンのゴンドラリフト運行休止について 今シーズンは諸般の事情でゴンドラリフト『あだたらエクスプレス』の運行を休止いたします」と掲示された。2015シーズンも引き続き、スキーシーズンの運行はストップのままだ。ただし、4~11月は登山用として運行されている。

あらためてトップシーズンにあだたら高原を訪れてみる。あいにくと雪が激しく降り続き、「あれが安達太良山、あの光るのが阿武隈川……」という智恵子抄に登場する風景を楽しむことはできない。年末の休みでもありファミリー層を中心にスキー場は賑いを見せている。以前のイメージに比べ、圧倒的に子ども連れが多く、そこにターゲットを絞ったことが見て取れる。ゲレンデ最下部のゴンドラ乗り場のシャッターはおろされていて、ゴンドラが走らないワイヤーが虚しく空中を横切っていた。あだたらエクスプレスの運行休止が、この間のスキー場をめぐる情勢の変化を物語っているように感じられた。(現地訪問:2014年12月)
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2015年01月01日

横向温泉スキー場(福島県猪苗代町)

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(左)箕輪スキー場入口の案内板。(右)左にホテルマウント磐梯。右は第1ペアリフト乗場。

福島県の会津と中通りを区切る土湯峠。その西南側直下に位置していた横向温泉スキー場。リフト2本の小規模ながら、ゆっくりと冬の休日が過ごせるところではなかったかと思う。その横向温泉スキー場が2014シーズンから営業を休止している。原発事故による風評被害により、団体のスキー旅行など客足が大幅に落ち込んだことが当時、新聞に掲載されていた。

隣接する場所に箕輪スキー場がある。80年代にバブル期を象徴するような豪華ホテルを備えて華々しく登場し、横向温泉はそのエスケープ・ゲレンデのようなポジションになってしまった。私自身は周辺のスキー場に出かけたところ積雪が少なく、やむなく箕輪に転戦したことも何回かあったものの、横向温泉にまで足を伸ばすことはなかった。当時、箕輪ではリフト待ち30分などということもあったと記憶している。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「スパ施設をもつホテルマウント磐梯直営のスキー場。バラエティーに富んだ浴槽のある温泉施設が人気。ゲレンデをはさんで初級者向きと上級者向きの2つに分かれ、隣の箕輪スキー場から滑り込める」と記載されている。ペア1・シングル1のリフトがあったが、シングルリフトのある第2ゲレンデはずい分前から休止になっていたようだ。

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(左)ホテル前の第1ペアリフト乗場から、第1ゲレンデを見上げる。ペアリフトはチェアをはずされた状態。(右)第1ゲレンデの全景。

あらためて現地を訪れる。福島方面からは国道115号線の土湯トンネル出口から右に折れ、箕輪への入口を見送って直進すれば左手にホテルがあらわれ、その目の前に第1ゲレンデ、背後に第2ゲレンデの痕跡があらわれる。駐車している車も多く、ホテルとしてはそれなりの客が訪れてはいるようだ。ホテルのフロントでスキー場について尋ねると「今シーズンは休止しています」との返事だったが、言外に来シーズン以降の復活を期していることをうかがわせた。

ホテルの正面にはゆるやかな第1ゲレンデが広がっている。ゲレンデ右手に位置しているペアリフトはチェアをはずしただけの状態で、来シーズン以降の再稼働も可能と思われた。その先、磐梯吾妻スカイラインへと続く道は冬期閉鎖で除雪がされていない。左手にはずいぶん前に休止になった上級者向きの第2ゲレンデが広がっているが、その脇のシングルリフトは錆びついているようだ。小雪が降り続き周囲の展望は開けないが、晴れていれば気持ちの良い眺望が開けるのではないかと思った。

ふと第1ゲレンデを見ると数人のスノーボーダーが滑り降りてきた。箕輪からこちらに滑り込んできたものと思われる。そのまま車道を滑って、箕輪の下部まで降りて行った。帰り際に箕輪のゲレンデを覗いたが、それなりの賑わいを見せていた。横向温泉にも復活の日が来ることを祈りたい。(現地訪問:2014年12月)

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(左)以前に休止となった第2ゲレンデ。ゲレンデ左端にあるシングルリフトは錆ついているようだった。

【追記】
マウント磐梯のホームページには「2015年冬 横向温泉スキー場が再オープン」と記されている。まずは、再開を喜びたい。その後、2019シーズンは営業休止している模様。
コメント欄に情報をいただいた通り、2022シーズン、箕輪から滑り込めるコースがオープンする模様。ただし、横向温泉のリフトが稼働するわけではなく箕輪にはシャトルバスで戻ることになるようだ。再開といっていいものかどうか。箕輪に吸収されたという感じか。
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2012年12月21日

おおすごスキー場(福島県会津若松市)

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(左)県道沿いの駐車場入口にある案内板。前方にゲレンデが見える。後方の稜線まで広がる、意外と奥行きのあるスキー場だった。(右)ゲレンデ最下部にあったコンクリートの遺構。

会津若松市街から東山温泉街を通り抜け、県道湯川大町線を南下する。東山ダムとそのダム湖の湖畔を通り過ぎると「WELCOME」と書かれた案内板が道沿いに立っていた。絡みあったツタが表面を覆い隠しているが、おおすごスキー場の案内板だ。その右手には従業員駐車場・大型バス駐車場などの掲示。「駐車場直進」の案内にしたがってさらに進めば、右手にゲレンデマッブを兼ねた案内板と、第1・2・3駐車場への誘導看板があった。駐車スペースはかなり広く確保されていたようだ。湯川の流れを挟んだ対岸の、山腹の北斜面にゲレンデの跡が認められた。山々はすでに紅葉の盛りを過ぎている。草木が繁り、ゲレンデは半ばその中に飲み込まれそうではあるが、まだ何とか痕跡を残している。

先ほどの「WELCOME」という案内板までもどると、湯川を渡って西側の山腹に取り付く林道が分岐している。この林道を進むとゲレンデ直下と思われる場所に出た。トップに向かって左手にコンクリートの基礎部分が残っていたが、リフト乗場なのか、何かの建物の跡か、わからなかった。レストハウスなどの建物やリフトの支柱などはきれいに撤去されているが、ナイター照明の鉄塔だけが当時そのままに残されているのがもの悲しい。ゲレンデ斜面は背の高いススキに埋もれている。

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(左)中腹の「レストハウス鷹」。スキー客相手の店だったと思われる。(右)第1ロマンスリフト終点と思われる場所。さらに前方の山稜に向けてゲレンデは広がっていた。

さらに林道はゲレンデ左側の山中を上って行く。そして、大巣子というスキー場の名前の由来でもある集落の中で右折する。大巣子集落には人の気配がなく、廃村に近い状態ではないかと思われた。畑には作物があったから、出造りのようなかたちで農作業の時期にだけ上がってくるのかもしれない。集落の奥にある大巣子神社に手を合わせてから林道をさらに進む。すぐに右手にスキー客相手だったと思われる「レストハウス鷹」の建物、そしてその先の左手一段上には第1リフトの終点と思われるコンクリートの痕跡があらわれた。見上げると上部ゲレンデのコース痕跡が認められた。さらに進んだところにある分岐点を右へ進めば、「(左)前坂コース・(右)谷地平コース」と書かれた大きなコース案内板が残っていた。さらに上部にゲレンデ跡とナイター照明の鉄塔が見えるが、林道を使ってたどり着けるのはここまでだった。

このおおすごスキー場は1988年12月にオープン。1980年代までは前回紹介した東山温泉スキー場が営業していたが、それに代わるものとして登場したと思われる。その時代、東山温泉の冬の誘客手段として、スキーは欠かせないと考えられたのだろう。1997年春までのわずか10年足らずの営業期間だった。

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(左)前坂・谷地平のコース分岐を示す案内板。

「skier'91 日本のスキー場・東日本編(山と渓谷社)」には「今年で3シーズン目を迎えるおおすごスキー場。会津若松東山温泉から車でわずか10分たらずの場所にあり、昼はスキー、夜はのんびり温泉につかるというパターンの休日が過ごせるのが魅力。上野から列車で3時間。ウィークエンドスキーも充分に楽しめる距離にある。今シーズンはスノーマシン5台を設置して、雪不足に悩まされた昨シーズンの汚名挽回」と紹介されている。最上部からは猪苗代湖・吾妻山・磐梯山が一望できた。初級から上級までどのレベルでも充分満足のいく滑りが楽しめると記載されている。また、「すいている穴場」という紹介もされていて、経営状況は厳しかったことを推測させる。ポール練習が可能であったことから、通いつめたポール派もいたようだ。ペアリフト2基(751m、710m)、キャリエース2基の施設があり、標高差440m、最大斜度35度、最長滑走距離2kmであった。

スキー客・温泉客誘致を目指しながらあっという間に消えていったスキー場。山中にある廃村に近い大巣子という山間の集落は、このゲレンデの推移をどのように見守っていたのだろうか。みぞれ混じりの小雨が降りはじめ、冬の訪れが間近であることを感じさせる晩秋の山の中では、そんな郷愁を感じざるをえなかった。(現地訪問:2012年11月)
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2012年12月08日

東山温泉(背炙山)スキー場(福島県会津若松市)

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(左)東山温泉の第1ケーブル山麓駅があったと思われる地点。(右)第2ケーブル山頂駅と第1リフト乗場があった関白平。

会津若松。飯盛山や鶴ヶ城をはじめとする観光地といってしまえばそれまでだが、それだけでは言いつくせない歴史の重みを感じる。その会津若松の奥座敷といえるのが、東山温泉。私もかつて家族旅行で会津方面に出かけたときに宿泊したことがある。そして、そんな東山温泉の裏山とでもいうべき背炙(せあぶり)山はのびやかに山上台地が広がり、猪苗代湖と会津の山並の展望が秀逸と知り、一度訪ねてみたいと思っていた。その背炙山にスキー場があった。

「'76オールスキー場完全ガイド(立風書房)」によれば、「東山温泉から第1・第2ケーブルを乗り継いでゲレンデへ出る。コブもなく、平均15度から20度前後の初中級向きの斜面。スロープは広大でファミリースキーにはびったりといえる。また、第2ケーブル沿いに距離約1キロの林間コースもあり、中級以上には面白い。猪苗代湖・磐梯山・吾妻連峰の雄大な眺めが迫り、温泉スキー場としては立派。リフトは1基(500m)、ナイターなし、日祭日にスキー学校開校。磐越西線会津若松駅下車、駅からバス東山温泉下車徒歩8分」とある。なお、稼動期間は不明だが山頂から反対側に第2リフト(372m)もあった。このスキー場は1960年頃に開設され、1980年代に営業休止したと思われる。

この背炙山については、「失われたロープウェイ」に詳しく紹介されている。ロープウェイ(第1ケーブル)は1956年開業し、当初はたいへん賑わったようだ。私は現地を訪ねたものの、ほとんどこのサイトを参考にしてその跡をたどったに過ぎない。とはいうものの一応、訪問記録を残したいと思う。

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(左)山頂部には第2リフトの施設が残っている。(右)第2リフトの乗場方向を見おろす。

東山温泉の温泉街の東側を通るバイパスがトンネルをぬけた南側、会津東山閣キャニオンという廃屋となっている施設の左手に小広い平坦地があり、そこが第1ケーブル(ロープウェイ)の乗場だったようだ。しかし痕跡は何も残っていない。次に温泉街北端から東の山腹へと上って行く県道・東山温泉線を、車でたどって山頂部を訪ねてみる。山頂部は展望の良い地形なのでアンテナが各所に林立している。あいにくこの日は天候が悪く、磐梯・吾妻方面の山並は雲の中。関白平(豊臣秀吉が会津に来たとき休憩したとされる)という地名を示す石碑があったが、その前方(西側)の小ピークあたりに第2ケーブルの山頂駅があり、また、それから乗り継ぐ第1リフト乗場もあったはずだが痕跡は残っていない。

その東側の「背あぶり山レストハウス」駐車場に車をとめて、背炙山山頂まで歩く。10分ほどで山頂展望台に着くと、東側(猪苗代湖側)の展望が開ける。猪苗代湖が思いのほか広大であることを感じる眺めである。その展望台に第2リフト終点の施設が、赤錆びたチェアも付いたままに残っていた。リフトは東側に向かって下っているが、最下部の様子は霧の中に霞んではっきりとはわからなかった。山頂部のリフトの向こう側にある建物は、かつてはスキー場のレストハウスとして機能していたのだろうか。

かつてはケーブル2本とリフト1本を乗り継いで、ようやくここまでたどり着いたわけである。現在は樹木が生い茂ったり、整備しなおされたりして、当時のゲレンデの痕跡は判然としない。周辺は古くから市民の憩いの場としても利用されてきた場所であるらしく、キャンプ場やフィールドアスレチックなどが点在していた。赤く錆びたシングルリフトは何かのモニュメントを思わせるように、この場に妙に調和しているように思えた。(現地訪問:2012年11月)

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(左)「スキー場」の文字が辛うじて読み取れる案内標識。いつの時代のものか。
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