2009年10月14日

小谷温泉スキー場(小谷村)

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(左)小谷温泉。(右)「冬の信州'81」などを参考に作図。

「ゲレンデ」という範疇で捉えていいものかわからない。山スキーの拠点として、スキー創成期を支えたのがこの小谷温泉スキー場だった。小谷温泉山田旅館の19代当主であり、自らスキー技術を磨きその普及にも功績があり、小谷温泉スキー場をつくり発展させた山田寛氏のことを記した「小谷温泉讃歌 山田寛 雪の中の青春」にその歴史は詳しく記されている。

現在のように、大手が資本にものをいわせてつくったスキー場ではない。リフトなどの施設はなく、雪が降ればスキーヤーはせっせと新雪を踏んでゲレンデをつくり、スロープの上まではひたすら二本の足で歩いて登る。そんな時代だった。小谷温泉が魅力的だったのは乙見山峠を越えて笹ヶ峰や戸隠方面へ、湯峠を越えて糸魚川方面へ、さらに大渚山へといろいろなツアー・コースが組み立てられ、バラエティーに富んだスキーを満喫できるところにあった。

大糸沿線にスキー場が輩出してブームが訪れるのは昭和25~26年のことであり、昭和初期にはこのあたりでスキー場といえば小谷温泉しかなかった。昭和5年には50人収容のヒュッテができ、おもに立教大学山岳部が利用したという。昭和10年に大糸線が中土まで開通したが、中土からは徒歩3時間。その後、途中までバスが通うようになり、「冬の信州'76版」には「バス田中下より徒歩1時間」と案内されている。こうした賑わいも、大糸線沿線に大資本を投入した近代的な設備を備えたスキー場が開発されるにしたがって、少しずつ減少していった。

そのころ山スキーの講習会の残りの時間でゲレンデスキーを楽しんでもらうよう、ミニリフトを準備したとのことだが、備えつける間もなくスキー客は減少してそのままになってしまったという。ちなみに小谷温泉の開湯については、戦国時代(1550年代=弘治年間)に武田の家臣が見つけ、戦で受けた傷を癒すのに役立てたとの話が残されている。

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(左)雨飾荘西側に広がる斜面。(右)雨飾荘前の案内図には「小谷温泉スキー場」の表示が残っている。

小谷温泉から雨飾山方面に向かって舗装道路を少し進むと村営雨飾荘がある。ちょうど現地を訪れたときは、営業をやめて解体作業の真っ最中だった。その西側、真向かいになだらかな斜面をもったカヤトの原が広がる。ここがかつての小谷温泉スキー場。昭和2年に最深積雪が7m47cmを記録したこともあるほどの豪雪地だという。雨飾荘前の案内図には「小谷温泉スキー場」の文字が見られる。

いまでも背の高い木は少なく、何となくゲレンデがあった雰囲気が感じられる。ここからさらに上には鎌池平が広がり、そのあたりまでスキーを広範に楽しめる場所だったと思われる。最終営業年は「小山泰弘:長野県における休廃止スキー場の実態とその後の植生変化」によれば、1994年となっている。

「小谷村誌」には「近年、雪不足のスキー場が多い中で、この地域の降雪量の多さに着目し、スキー場開発の計画は幾度となく浮上しているが、いまだ足踏み状態である。一方で、そのままの自然環境を残すべきだという声もあり、今後の成行きに注目したい。」という記載が見られる。しかし、スキー人口がこれだけ減少してしまっては、スキー場開発などとても現実的ではないだろう。
(参考資料:「小谷温泉讃歌 山田寛 雪の中の青春」「小谷村誌」「冬の信州'76版」「小山泰弘:長野県における休廃止スキー場の実態とその後の植生変化」)(現地訪問:2009年9月)
posted by 急行野沢 at 15:00
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