2017年03月24日

クールヴァル東京(東京都板橋区)

埼京線浮間舟渡駅から徒歩5分。町工場に、マンション・集合住宅や大型スーパーが混在する町並み。地名の示すとおり、古くは渡し場があったのだろう。すぐ向こうには隅田川が流れている。都内唯一の屋内スノボ場だったクールヴァル東京の跡地を探して歩く。古いガイドブックに住所が記されているので、探すのは比較的簡単である。

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(左)埼京線浮間舟渡駅のホームから。前方右手が跡地。(右)近辺は町工場が建ち並ぶ。

町工場の前でおじさんに声をかけて場所を尋ねてみる。屋内スノボ場は、すぐ目の前の大きなカーショップの広い駐車場あたりの場所にあったらしい。当然ながら、そこに屋内ゲレンデがあった痕跡を示すものは見あたらない。大きく回り込むと、隅田川に架かる橋の上から敷地を見渡すことができた。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には屋内スノーボード場のページに、このクールヴァル東京が紹介されている。「東京都内唯一のスノーボード場。65mの滑走距離は屋内コースとしては長いほうだ。今シーズンからファンスキーも滑れるようになった。フリーマーケットなどのイベントやポイントカードによる特典あり」

通年の営業で、営業時間は10〜23時。ゲレンデ材質は吸水性ポリマーを使用し、サラサラタイプの人工雪だったようだ。ムービングベルトが設置されていて、ハーフパイプも備えられていた。スノボだけでなく、イベント的に「そりあそびデー」もおこなわれていた。1998年11月にオープンし、経営主体も替わりながら2001年12月に閉鎖となったようだ。なお、東京近辺ではスノーヴァ溝の口・スノーヴァ新横浜が現在も営業を続けている。

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(左)跡地と思われるカーショップの駐車場。(右)隅田川に架かる橋の上から跡地を見る。

スノボをしないので営業中に現地を訪れることはなかったし、どんな様子だったかをなかなか想像しにくい。現在でもネット上で滑走の記録を断片的にせよ見ることができるのだが。立地は良かったと思うし、スキー・スノボ人口もいまほど減少していなかったのではないかと思う。なぜ、こんな短期間で閉鎖に至ったのだろうか。(現地訪問:2017年3月)
posted by 急行野沢 at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月09日

志賀高原の休廃止リフト(その4 熊の湯〜横手山・渋峠)(山ノ内町)

志賀高原の休廃止リフトの現地レポート。最終回は熊の湯・横手山エリア。横手山は廃止リフトが見られない。それだけもともと輸送力がスリムだったということだろうか。周辺では前山や笠岳が廃止になっているのだが(別途レポート済)。
訪問時には一の瀬・高天ヶ原方面にくらべると滑っている人の数は少なく感じられた。横手山山頂部からの展望は素晴らしかったが。
(■=撤去、▼=休止=現存しているがゲレンデマップから削除、●=訪問時運休、【 】内は最下段地図上のリフト番号))

(59)DSC01782_kuma1.JPG (63)DSC01800_kuma2.JPG
(左)熊の湯第1ペア右側に熊の湯第1リフトがあったはずだが撤去されている。(右)熊の湯第2ペアリフトA線・B線。かつてのシングルリフト3本から架け替えられている。

■熊の湯第1リフト【59】
熊の湯の一番右手に第1ペアと平行して架けられていたが撤去されている。これらリフト終点から右へ行くと笠岳スキー場に滑り込めたが、笠岳は廃止となっている。

■熊の湯第2リフト(A・B・C線)【63】
現在は第2ペアA線・B線の2本に架け替えられている。輸送力はアップしているはずだが、リフト本数は1本減っている計算になるので、一応ここにあげておく。
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(65)DSC01796_kuma4.JPG (75)DSC01817_shibuq.JPG
(左)熊の湯第4ペア。訪問時には運休。(右)ゲレンデ左手に稼働しない渋峠第2クワッド。

●熊の湯第4ペア【65】
訪問時にはリフト乗場は雪に覆われていた。今シーズンあまり稼働した気配がない。今後、稼働することがあるか注視していきたい。

▼渋峠第2リフト【75】
渋峠ゲレンデのトップに向かって右手にクワッドが架けられていて、いまも施設は残っているもののゲレンデマップからは削除されてしまった。施設の建物はやや老朽化が目立つ。今後、稼働することは期待できない。
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(55)DSC01774_kido.JPG shiga_img003.jpg
(左)木戸池リフトの田の原湿原側。(右)1992シーズン。ゲレンデマップ。熊の湯・横手山周辺を抜粋。

●木戸池リフト【55】
訪問時には木戸池リフトは稼働しておらず、ゲレンデも圧雪されていない状態だった。ネット上の掲示を見るとその後稼働している日があったので、宿泊団体客のスキー教室などがあって稼働させたということだろうか。としても稼働日数があまりに少ない。(現地訪問:2017年1月・2月)

こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その1)
こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その2)
こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その3)

2017年02月21日

志賀高原の休廃止リフト(その3 焼額山〜奥志賀)(山ノ内町)

志賀高原の休廃止リフトの現地レポート。今回は焼額山・奥志賀高原エリア。焼額山はずいぶん多くのリフトがあった記憶があるが、かなり大胆に整理されてしまった。ゴンドラを除くとリフト数本が稼働しているだけとなった。奥志賀もゴンドラに並行するリフトは不要となったかのよう。
(■=撤去、▼=休止=現存しているがゲレンデマップから削除、●=訪問時運休、【 】内は本欄最下部に掲げたマップ上のリフト番号)

(38)DSC01181yakebi_dai1kosoku.JPG (41)DSC01130yakebi_dai1RA.JPG
(左)焼額山第1高速リフト乗場付近。前方の鞍部に焼額山第1高速と山の神トリプルの乗場があったはず。リフトは撤去されている。両リフトと並行するコースも閉鎖。(右)オリンピックコースの下部、第1ゴンドラの左側に焼額山第1ロマンスA線があったはずだが、撤去されている。

■焼額山第1高速リフト【38】
ダイヤモンドのトップからから焼額山に向かって真っすぐ山の神トリプル沿いに下った鞍部には、山の神トリプルと焼額山第1高速(クワッド)の乗場があった。鞍部から登り返すかたちでこのリフト沿いにもコースがあった。鞍部を挟む両リフトとも撤去され、両コースとも閉鎖となっている。

■焼額山第1ロマンスA線【41】
オリンピックコースの下部の緩斜面に沿って、第1ゴンドラの左側にあったはずだが、撤去されていてどのあたりにあったのかも定かではなかった。第1ゴンドラに沿うオリンピックコース沿いには、3本のリフトが直列していたがすべて撤去されている。ゴンドラがあれば、それで足りるのだが。
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(42)DSC01133yakebi_dai1RB.JPG (46)DSC01142yakebi_dai5R.JPG
(左)第1ゴンドラから見て左側のオリンピックコース中間部に並行していた焼額山第1ロマンスB線も撤去されている。(右)第1ゴンドラ最上部に並行する中斜面。写真の左側あたりに第5ロマンスがあったはず。

■焼額山第1ロマンスB線【42】
前記のA線の上部にあったリフトだが撤去されている。オリンピックコースの中間部の急斜面を滑るためにあったリフトだが、ゴンドラで網羅される部分でもある。

■焼額山第5ロマンスリフト【46】
上記の第1ロマンスA線B線のさらに上部にあったリフト。撤去されている。第1ゴンドラ最上部に並行した中斜面にあった。これもゴンドラがあれば足りた。
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(43)DSC01216yakebi_dai2R.JPG (44)DSC01137yakebi_dai3R.JPG
(左)奥志賀への道路沿いにある駐車場から見た第2ロマンスの乗場。(右)第3ロマンスリフトの最上部。リフトは現存しているが、ゲレンデマップの記載は消滅している。

▼焼額山第2ロマンスリフト【43】
このリフトは残っているものの、ゲレンデマップから記載が消滅している。焼額山から奥志賀に向かう道路の中間地点、つまり焼額でいえばもっとも奥の道路沿いに駐車場があって、このリフト乗場があった。隣接するレストハウスや並行するコースとともに雪に埋もれるままになっている。

▼焼額山第3ロマンスリフト【44】
上記の第2ロマンスから上部にアクセスするためのリフト。終点は第1ゲレンデの中間部、オリンピックコースの急斜面上部。リフト施設は残されているがゲレンデマップの記載はなくなっている。現在もこのリフト沿いに焼額から奥志賀に滑り込める(逆方向は山頂部でしか滑り込めない)。
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(54)DSC01156okushi_dai7.JPG (53)DSC01149okushi_dai6P.JPG
(左)奥志賀ゴンドラから見おろした奥志賀第7リフトがあったあたり。(右)奥志賀高原第6リフト乗場。雪に埋もれていた。

■奥志賀高原第7リフト【54】
奥志賀高原ゴンドラ側の最下部にあったリフトだが、撤去されていてその痕跡はよくわからない。並行するコースはゴンドラから下ってきた最下部の緩斜面。

●奥志賀高原第6ペアリフト【53】
奥志賀ゴンドラ側斜面の中間部にあるリフト。並行するコースはゴンドラからの中間部の緩斜面。訪問時には運休中で、深い雪に埋もれたままになっていた。コメント欄にお寄せいただいた通り、稼働する時期もあるようだ。
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(52)DSC01178okushi_dai5.JPG shiga_img002.jpg 
(左)奥志賀高原最上部から見たゴンドラ最上部周辺。ゴンドラ降場から右手に下る尾根に第5リフトがあったはずだが撤去されている。(右)1992シーズン・ゲレンデマップ。焼額山・奥志賀周辺を抜粋。

■奥志賀高原第5リフト【52】
1992年のゲレンデマップに掲載はあるものの「休止」となっている。撤去されていて、どこにあったかよくわからなかった。奥志賀ゴンドラに並行するコースの最上部に架かっていたが、かなり早い時期に撤去されていたと思われる。
(現地訪問:2017年1月)

次回は、横手山・熊の湯方面をレポートする予定。

こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その1)
こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その2)
こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その4)

2017年02月07日

志賀高原の休廃止リフト(その2 サンバレー〜山の神)(山ノ内町)

前回ご説明した志賀高原の休廃止リフトの現地レポート。なにせエリアが広いので、1日ですべてを滑ってレポートすることは困難。実際はエリアを分けて数日にわたり現地を観察することとなった。今回はサンバレーからダイヤモンド・山の神まで。志賀高原の中心部といってよい一の瀬・高天ヶ原あたりはリフト数はあまり減っていないように思う。
(■=撤去、●=訪問時運休、【 】内は本欄最下部に掲げたマップのリフト番号)

(02)DSC01036hosaka_dai2P.JPG (08)DSC01046hasuike_dai2kosokuP.JPG
(左)左が法坂第2ペア(運休中)。右は法坂第1クワッド。(右)蓮池第2高速ペアは撤去。前方の新雪に埋もれたコースの左側にリフトがあった。

●法坂第2ペアリフト【2】
サンバレーのメインゲレンデに、これよりもやや長い法坂第1クワッドとほぼ並行して架かっている。訪問時も運休しており、今シーズンこれまでまったく稼働していないと思われる。クワッドがあれば足りるので、よほどの多客期以外は必要がないだろう。

■蓮池第2高速ペアリフト【8】
蓮池トリプルのさらに上部に架かっていた。現在、リフトは撤去され、それに並行する緩斜面のコースも新雪に埋もれたままになっている。訪問時には、トリプルリフト周辺で修学旅行と思われる中高生のスキースクールが数多く行われていた。
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(10)DSC01205takamagahara.JPG (11)DSC01049giant.JPG
(左)遠景から発哺と高天ヶ原間の斜面を見ると、高天ヶ原リフトが撤去されているのがわかる。(右)ジャイアントペア乗場。左側にあった第1ペアは撤去され、右側にあったトリプルがペアに架け替えられたものと思われる。

■高天ヶ原リフト【10】
志賀高原ロープウェイと高天ヶ原をつないでいたリフト。ロープウェイの廃止にともない、その役割を終えて撤去されている。

■ジャイアント第1ペアリフト【11】
ジャイアントゲレンデの右脇(西側)に、ジャイアント第1ペアリフトとジャイアントトリプルが並行して架けられていた。輸送力として過剰になってしまったのだろう。左側のやや短かった第1ペアは撤去されている。トリプルの位置にペアリフトが架け替えられたものと思われる。
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(13)DSC01059giant_dai3.JPG (27)DSC01100ichinose_dai7P.JPG 
(左)ジャイアントゲレンデを上部から見おろす。右手下部に第3リフトがあったが撤去されている。(右)一の瀬第7ペアがあったタンネの森の左辺あたり。正確な場所はわからないが、リフトは撤去されている。

■ジャイアント第3リフト【13】
ジャイアントゲレンデの向かって左手下部に設置されていたが、撤去されている。ジャイアントは上級コースという位置づけなので、上級者でなくてもOKの下部を滑るためのリフトだったのではないか。

■一の瀬第7ペアリフト【27】
タンネの森の一番左(一の瀬ファミリー側)にあったリフトだが、撤去されてしまった。雪の上からは正確にどのあたりにあったかもつかみにくかった。タンネの森は林間の雰囲気のよいゲレンデだが、高天ヶ原・一の瀬間の連絡コース的でもあるので、いまとなっては過剰になったのだろう。
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(29)DSC01109diamondT.JPG (31)DSC01124yamanokamiT2.JPG
(左)ダイヤモンドゲレンデ左側にあるトリプルは休止中。(右)焼額側から遠景で見た山の神トリプルがあった斜面。一番左の切開きにリフトがあったと思われるが撤去されている。右に2本見えるコースも閉鎖されていた。

●ダイヤモンドトリプルリフト【29】
ダイヤモンドゲレンデの左側に設置されているが運休中。雪に埋もれるままの状態で、今シーズンこれまでまったく稼働していないと思われる。ダイヤモンドは繰り返し滑るには好きなゲレンデ。このトリプルにはずいぶん乗車した記憶があるのだが。(→コメント欄にお寄せいただいた通り、年末年始は稼働していたとのことです。)

■山の神トリプルリフト【31】
ダイヤモンドゲレンデのトップからまっすぐ焼額側に下る斜面があり、それに並行するかたちで山の神トリプルリフトがあった。斜面は閉鎖されていて入ることができなかったが、焼額側から遠めに見ると、リフトが撤去されているのがわかった。それに並行する2本のコースも閉鎖されている。

山の神は第2ペアリフトだけが残り、ゲレンデもそれに並行する焼額との連絡コースのようなものだけとなった。もともと連絡コース的な雰囲気が強いエリアだったが、個人的には好きな場所だっだので残念。

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(34)DSC01748terakoya4P.JPG (34a)DSC01761terakoya1p.JPG
(左)寺小屋第2・第4ペアのあった斜面。第4ペアの支柱などは残っているが現在のゲレンデマップからは削除されている。(右)かわって東館山方面に架けられた寺小屋第1ペア。

■寺小屋第2・第4ペアリフト【34】【35】
クワッドが架かる寺小屋のメインゲレンデに対面する側に2本のリフトがあり、それに沿う短いコースを楽しく滑った記憶がある。ペアリフトの支柱などはまだ残っているが、現在のレンデマップからは削除されていて再稼働することはないと思われる。替わりに東館山への連絡用として寺小屋第1ペアが設置されている。
(現地訪問:2017年1月+2月)

●ブナ平クワッドリフト【14】
1月に訪問した時は雪に埋もれたままで運休中だったが、その後稼働。2月訪問時には動いていた。(→コメント欄にお寄せいただいた通りです。)

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(左)1992シーズンのゲレンデマップより、サンバレーから山の神までの部分を抜粋。(右)ブナ平クワッド終点付近。2月訪問時にはブナ平クワッドは稼働。

次回は焼額山・奥志賀高原についてレポートしたい。

こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その1)
こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その3)
こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その4)

2017年01月23日

志賀高原の休廃止リフト(その1)(山ノ内町)

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(左)高天ヶ原トップから西館山方面。遠く北信五岳。(右)タンネの森からダイヤモンド・山の神・焼額山方面を望む。

古い資料の中から出てきた1992シーズンの志賀高原のゲレンデマップを見て、その後リフト数が激減していることに驚いた。そのマップは当時おこなわれていたスキーチャレンジの案内を兼ねている。スキーチャレンジとは、宿泊者が志賀高原の74基(当時)のリフト・ゴンドラ・ロープウェイにすべて搭乗すると景品がもらえたもの。現在のリフト等は51基にまで減少していて、さらにその中にも運休中(多客時のみ稼働?)のものもあり実質的にはもっと少ないと思われる。

20基以上が休廃止となっていて、これは無視できない数である。特に『山の神』などは、その名前が付いたリフトが1基残るものの、ゲレンデとしては連絡コースの機能しかないように見える。志賀高原全体を見ても、各ゲレンデの連絡を最低限確保するリフトだけを残したような箇所も多い。日本を代表するスノーリゾートである志賀高原にして、このような状況であることは憂慮すべきことだと感じる。

実は以前、「志賀高原ではリフトやコースが次々に閉鎖に追い込まれていて、それらはどういう扱いになるのか」と聞かれたことがあった。そのときは簡単に考えて「ある程度の規模やまとまりでないと『追憶のゲレンデ』とはいえないのではないか」という答えをした。しかし、こう見てくるとそうもいっていられない。一度、本ブログで取り上げてみたいと考えた。

リフト新設・改廃は年とともに変化しているので、比較をするにしてもどこか基準を決めなければならない。ここではリフト数が最も多かった時代と思える上記の1992シーズンのゲレンデマップをベースとして、その後のリフト数の変化(架け替え・撤去・運休)を把握してみたい。もちろん、現地に行ってその状況を見て把握してこなければならない。現地レポートについては、次回以降に紹介する予定である。

現地訪問の前に、1992シーズンと現在のリフト改廃の比較をおこなっておきたい。以下は取り急ぎ作成した比較表である。(クリックで拡大)

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(左)志賀高原1992シーズンをベースとしたリフト等比較表。(52)奥志賀高原第5は1992年「休止」として掲載。(56)はこの時点では欠番。石の湯と思われる。  (右)蓮池上部から西館山・東館山をのぞむ。

こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その2)
こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その3)
こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その4)