2017年02月07日

志賀高原の休廃止リフト(その2 サンバレー〜山の神)(山ノ内町)

前回ご説明した志賀高原の休廃止リフトの現地レポート。なにせエリアが広いので、1日ですべてを滑ってレポートすることは困難。実際はエリアを分けて数日にわたり現地を観察することとなった。今回はサンバレーからダイヤモンド・山の神まで。志賀高原の中心部といってよい一の瀬・高天ヶ原あたりはリフト数はあまり減っていないように思う。
(■=撤去、●=訪問時運休、【 】内は本欄最下部に掲げたマップのリフト番号)

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(左)左が法坂第2ペア(運休中)。右は法坂第1クワッド。(右)蓮池第2高速ペアは撤去。前方の新雪に埋もれたコースの左側にリフトがあった。

●法坂第2ペアリフト【2】
サンバレーのメインゲレンデに、これよりもやや長い法坂第1クワッドとほぼ並行して架かっている。訪問時も運休しており、今シーズンこれまでまったく稼働していないと思われる。クワッドがあれば足りるので、よほどの多客期以外は必要がないだろう。

■蓮池第2高速ペアリフト【8】
蓮池トリプルのさらに上部に架かっていた。現在、リフトは撤去され、それに並行する緩斜面のコースも新雪に埋もれたままになっている。訪問時には、トリプルリフト周辺で修学旅行と思われる中高生のスキースクールが数多く行われていた。
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(左)遠景から発哺と高天ヶ原間の斜面を見ると、高天ヶ原リフトが撤去されているのがわかる。(右)ジャイアントペア乗場。左側にあった第1ペアは撤去され、右側にあったトリプルがペアに架け替えられたものと思われる。

■高天ヶ原リフト【10】
志賀高原ロープウェイと高天ヶ原をつないでいたリフト。ロープウェイの廃止にともない、その役割を終えて撤去されている。

■ジャイアント第1ペアリフト【11】
ジャイアントゲレンデの右脇(西側)に、ジャイアント第1ペアリフトとジャイアントトリプルが並行して架けられていた。輸送力として過剰になってしまったのだろう。左側のやや短かった第1ペアは撤去されている。トリプルの位置にペアリフトが架け替えられたものと思われる。
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(13)DSC01059giant_dai3.JPG (27)DSC01100ichinose_dai7P.JPG 
(左)ジャイアントゲレンデを上部から見おろす。右手下部に第3リフトがあったが撤去されている。(右)一の瀬第7ペアがあったタンネの森の左辺あたり。正確な場所はわからないが、リフトは撤去されている。

■ジャイアント第3リフト【13】
ジャイアントゲレンデの向かって左手下部に設置されていたが、撤去されている。ジャイアントは上級コースという位置づけなので、上級者でなくてもOKの下部を滑るためのリフトだったのではないか。

■一の瀬第7ペアリフト【27】
タンネの森の一番左(一の瀬ファミリー側)にあったリフトだが、撤去されてしまった。雪の上からは正確にどのあたりにあったかもつかみにくかった。タンネの森は林間の雰囲気のよいゲレンデだが、高天ヶ原・一の瀬間の連絡コース的でもあるので、いまとなっては過剰になったのだろう。
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(左)ダイヤモンドゲレンデ左側にあるトリプルは休止中。(右)焼額側から遠景で見た山の神トリプルがあった斜面。一番左の切開きにリフトがあったと思われるが撤去されている。右に2本見えるコースも閉鎖されていた。

●ダイヤモンドトリプルリフト【29】
ダイヤモンドゲレンデの左側に設置されているが運休中。雪に埋もれるままの状態で、今シーズンこれまでまったく稼働していないと思われる。ダイヤモンドは繰り返し滑るには好きなゲレンデ。このトリプルにはずいぶん乗車した記憶があるのだが。(→コメント欄にお寄せいただいた通り、年末年始は稼働していたとのことです。)

■山の神トリプルリフト【31】
ダイヤモンドゲレンデのトップからまっすぐ焼額側に下る斜面があり、それに並行するかたちで山の神トリプルリフトがあった。斜面は閉鎖されていて入ることができなかったが、焼額側から遠めに見ると、リフトが撤去されているのがわかった。それに並行する2本のコースも閉鎖されている。

山の神は第2ペアリフトだけが残り、ゲレンデもそれに並行する焼額との連絡コースのようなものだけとなった。もともと連絡コース的な雰囲気が強いエリアだったが、個人的には好きな場所だっだので残念。

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(34)DSC01748terakoya4P.JPG (34a)DSC01761terakoya1p.JPG
(左)寺小屋第2・第4ペアのあった斜面。第4ペアの支柱などは残っているが現在のゲレンデマップからは削除されている。(右)かわって東館山方面に架けられた寺小屋第1ペア。

■寺小屋第2・第4ペアリフト【34】【35】
クワッドが架かる寺小屋のメインゲレンデに対面する側に2本のリフトがあり、それに沿う短いコースを楽しく滑った記憶がある。ペアリフトの支柱などはまだ残っているが、現在のレンデマップからは削除されていて再稼働することはないと思われる。替わりに東館山への連絡用として寺小屋第1ペアが設置されている。
(現地訪問:2017年1月+2月)

●ブナ平クワッドリフト【14】
1月に訪問した時は雪に埋もれたままで運休中だったが、その後稼働。2月訪問時には動いていた。(→コメント欄にお寄せいただいた通りです。)

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(左)1992シーズンのゲレンデマップより、サンバレーから山の神までの部分を抜粋。(右)ブナ平クワッド終点付近。2月訪問時にはブナ平クワッドは稼働。

次回は焼額山・奥志賀高原についてレポートしたい。

こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その1)
こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その3)
こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その4)

2017年01月23日

志賀高原の休廃止リフト(その1)(山ノ内町)

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(左)高天ヶ原トップから西館山方面。遠く北信五岳。(右)タンネの森からダイヤモンド・山の神・焼額山方面を望む。

古い資料の中から出てきた1992シーズンの志賀高原のゲレンデマップを見て、その後リフト数が激減していることに驚いた。そのマップは当時おこなわれていたスキーチャレンジの案内を兼ねている。スキーチャレンジとは、宿泊者が志賀高原の74基(当時)のリフト・ゴンドラ・ロープウェイにすべて搭乗すると景品がもらえたもの。現在のリフト等は51基にまで減少していて、さらにその中にも運休中(多客時のみ稼働?)のものもあり実質的にはもっと少ないと思われる。

20基以上が休廃止となっていて、これは無視できない数である。特に『山の神』などは、その名前が付いたリフトが1基残るものの、ゲレンデとしては連絡コースの機能しかないように見える。志賀高原全体を見ても、各ゲレンデの連絡を最低限確保するリフトだけを残したような箇所も多い。日本を代表するスノーリゾートである志賀高原にして、このような状況であることは憂慮すべきことだと感じる。

実は以前、「志賀高原ではリフトやコースが次々に閉鎖に追い込まれていて、それらはどういう扱いになるのか」と聞かれたことがあった。そのときは簡単に考えて「ある程度の規模やまとまりでないと『追憶のゲレンデ』とはいえないのではないか」という答えをした。しかし、こう見てくるとそうもいっていられない。一度、本ブログで取り上げてみたいと考えた。

リフト新設・改廃は年とともに変化しているので、比較をするにしてもどこか基準を決めなければならない。ここではリフト数が最も多かった時代と思える上記の1992シーズンのゲレンデマップをベースとして、その後のリフト数の変化(架け替え・撤去・運休)を把握してみたい。もちろん、現地に行ってその状況を見て把握してこなければならない。現地レポートについては、次回以降に紹介する予定である。

現地訪問の前に、1992シーズンと現在のリフト改廃の比較をおこなっておきたい。以下は取り急ぎ作成した比較表である。(クリックで拡大)

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(左)志賀高原1992シーズンをベースとしたリフト等比較表。(52)奥志賀高原第5は1992年「休止」として掲載。(56)はこの時点では欠番。石の湯と思われる。  (右)蓮池上部から西館山・東館山をのぞむ。

こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その2)
こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その3)
こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その4)

2017年01月08日

湯沢ファミリースキー場(新潟県湯沢町)

この湯沢ファミリースキー場についての情報を、コメント欄(白板高原スキー場)にお寄せいただき、場所まで教えていただいた。湯沢の街からこんなに近い場所にあったスキー場を見落としていたとは迂闊だった。

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(左)国道17号田中交差点。前方に見える丘陵の山腹に向けてゲレンデが開かれていた。(右)「スキー天国にいがた」を参考に作図(一部推定)。

「スキー天国にいがた(1975年12月)」では、このスキー場について以下のように紹介している。「扇形の尾根に囲まれた良質のゲレンデは、気軽にスキーの楽しさを味わえるファミリーなスキー場である。合掌造りのレストハウスも1軒あり、家族連れや初心者で連日にぎわっている。またスキーのあとは近くの情緒豊かな湯沢温泉でくつろぐことができる」

アクセスは「越後湯沢駅からバス5分」と恵まれていた。長さ300mのリフト(おそらくシングルリフト)1基と記されている。しかし、同誌に掲載されている地図には3本のリフトが記入されていて、どちらが正しいのかよく解らない。全盛期に3基、最終段階で1基だけ残っていたということだろうか。(→コメント欄にある通り、リフトは1基だったもよう。)

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(左)残っていたリフト乗場の跡。前方にリフトの鉄柱が続いている。(右)リフトの左側には中級向けらしき斜面。

200台収容の駐車場があった。現在までの調べでは、開設・廃止の時期ははっきりしない。ただ、最も賑わった時期は1970年代ではなかったかと推測している。越後湯沢の中心部から国道17号を南下、湯沢IC入口を過ぎれば左に岩原・中里方面への道を分岐する田中交差点の信号がある。その南東側にある北斜面に位置していた。

現地を訪れてみる。田中交差点から岩原方向に進むと車道は高架となるが、高架の下に降りて右折するとゲレンデ最下部だったと思われる小広い場所に出た。駐車場や合掌造りのレストハウスはこのあたりにあったのだろうか。その一角にリフト乗場の残骸があった。見上げると斜面の樹林の中に、リフトの鉄塔が点々続いているのが見えた。その左側には低木が茂りはじめてはいるが、中級レベルと思われるコースの痕跡が見て取れた。

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(左)リフト残骸の右手に広がる緩斜面。(右)ゲレンデ下のレストハウスなどがあったと思われる場所。左前方にリフトの残骸がある。

右手にはずっとなだらかな斜面が続いている。第2・第3リフトはこちら側にあったのだろうか。それらの痕跡は見出すことができなかった。ゲレンデ周辺には民家が建ち並んでいるが、その中には「民宿」の看板を出している家もある。一部は近隣スキー場への送迎によって、現在もスキー客を迎え入れているようだった。

今冬は積雪が少ないとはいえ、一帯は雪に覆われていてスキー施設の痕跡を探すのには難しかった。雪のない季節に再訪したいと思う。湯沢の街にも近く利便性も高いファミリーゲレンデだった思われるが、どの程度の人気があったのだろうか。地元の人に話を聞きたかったが、あいにくと天気も悪く人の姿も見られなかった。(現地訪問:2017年1月)

2016年12月26日

志賀高原ゴルフ場ゲレンデ(山ノ内町)

志賀高原のゴルフ場ゲレンデについては、寒水第2スキー場のことでお世話になったKさんから、何回か話を聞いていた。現在の志賀高原歴史博物館(旧・志賀高原ホテル)から志賀高原総合会館98あたりの場所にあったらしい。しかし、それ以上のことを調べられずそのままになっていた。

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長野鉄道管理局「スキースケート(1973年版)」より

その後、いろいろな資料を調べるうちにこのスキー場について明らかになってきた。国鉄・長野鉄道管理局作成の「スキースケート(1973年版)」には、志賀高原丸池スキー場・法坂スキー場の中に「ゴルフ場リフト」が掲載されていて、長さ266m、使用料1回60円となっている。同誌掲載の志賀高原概念図にも、「蓮池」「川原小屋」の脇にそのリフトがあって、だいたいの位置を知ることができた。

また、「志賀高原スキー史(1991年)」では「主なスキーリフト架設年表」の中にこのリフトが掲載されていて、「昭和35(1960)年4月架設、長さ244m、架設者名:志賀高原ホテル、昭和48(1973年)年4月廃止」となっている。10数年の寿命だったようだ。

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(左)各種資料から推測したゴルフ場リフトのあった場所。(右)志賀高原歴史博物館(旧・志賀高原ホテル)。冬季は休業。

もう少し正確な位置を知りたいと思っていたところ、たまたま目にした1977年版の空撮写真では、現在の総合会館の駐車場あたりは樹木のない草地の緩斜面になっていて、やはりその一帯がゲレンデだったと推測できた。さらに、「ブルーガイドブックス 志賀高原・草津・奥信濃(1983年、実業之日本社)」の巻末地図にはこのリフトが掲載されていた。

それらによれば、ゲレンデトップは現在の総合会館の北西にある丘のような小ピーク。また、ゲレンデ最下部は歴史博物館の右手裏(南東)あたりと推測される。リフトの長さもほぼ当てはまるようだ。

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(左)総合会館の駐車場から見上げる北側の丘。あのあたりがゲレンデトップではなかったか。(右)丘の上にはコンクリート製のベンチがあるが、リフトの痕跡はわからなかった。

そんな事前調査をしてから初冬の志賀高原を訪れる。積雪はまだ十分とはいえないけれど、丸池ゲレンデあたりは多くの人が滑っていた。まずは総合会館の駐車場へ。おそらくは総合会館の駐車場を造るときに斜面が整地されたため、北側の小ピークとの間にも西側の歴史博物館との間にも現在は大きな段差ができているが、当時は緩やかな斜面となっていたのではないだろうか。

総合会館98の右手からゲレンデトップの小ピークまで登ってみる。ピークにはコンクリート製のベンチが設置されていたが、リフトの痕跡などは見つけることができなかった。眼下には総合会館の駐車場が広がっていて、当時の雰囲気をうかがい知ることは難しい。緩やかな斜面が歴史博物館の裏手まで続いていたはずだと思うのだが。また、歴史博物館の周辺は雪に埋もれていて、リフトの痕跡などを見つけることはできなかった。「ゴルフ場リフト」ということなので、夏季にはゴルフ場になっていたのだろうが、そのあたりのこともよくわからなかった。

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(左)丘の上から木枝越しに総合会館の駐車場を見おろす。(右)歴史記念館の右手奥。このあたりにリフト乗場があったと思われる。

志賀高原の玄関口ともいえる場所にあった小さなゲレンデだったようだが、あまり魅力的ではなかったのだろうか。ゲレンデの雰囲気はいまとなっては想像しがたい。年末年始に向けて志賀高原全体は賑わいを見せるのだろうけれども、廃止となってしまったロープウェイ乗場周辺や総合会館周辺には人の姿は少なく、何となく寂しさを感じた。(現地訪問:2016年12月)

2016年12月13日

北飯山スキー場(その2)(飯山市)

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資料を整理していたところ「北飯山スキー場」のパンフレットが出てきた。各種料金も時代を感じさせるもの。宿泊申込みをハガキ(料金7円)で行う仕組みだったり、貸靴のサイズ記入が〇文だったりするのも面白い。年代は記されていないのではっきりしない。ただ、このスキー場が営業していたのは1964年12月〜1976年春までのことで、その間ハガキ料金が7円だったのは1966年7月〜1972年1月まで。したがってその間の1970年前後のものと思われる。

「遠くに三国の山なみを望み近くに関田の山脈を眺め眼下に詩情豊かな千曲川の雪景色は、格別目にしみる豪雪地として知られる豊かな積雪に恵まれ、特に当北飯山スキー場は、スキー場としての絶対条件である北向スロープで1日中粉雪で積雪の変化がなく、スキーヤーには最高のスキー場であります」と案内されている。

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(左)斜面からは関田山脈の山並が望める。

さらに「広大なゲレンデは初心者、中級者には最適であり、又、宿はスキー場の麓に位置し詩情豊かな寒村での民宿で、冬の夜長コタツを囲んで想い出を語る旅情は雪国の素朴な人柄と共にスキーヤーの心の故郷でもあり、奥信濃北飯山の宿ならでは味わえないものでしょう」とある。

リフトは第1リフト(300m)・第2リフト(400m)のシングル2基があった。リフト2基で「広大なゲレンデ」とは少々無理があるかもしれない。ただ、第2リフト終点のすぐ南側はいまはなき飯山国際スキー場に隣接していて、両者を結ぶロープトロイカも整備されたという。両者を合わせると確かに広大な規模にはなるのだが。

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(左)第1リフト乗場。コンクリート部分だけとなった。(右)第2リフト乗場。ヤブに覆われていたが、ほぼ前回訪問時と変わらない。

前回、本ブログで取り上げたのは8年近く前のこと。そのときはリフトの残骸などがよく残っていた。その後、飯山方面に出かけた際に足をのばしてみたところでは、痕跡は少しずつ消滅しているような気がしていた。

あらためて北飯山スキー場跡を探索してみる。第1リフトの乗場は機械類が取り外され、コンクリート部分だけが残されていた。周囲は以前よりもヤブが生い茂っていて、リフトの痕跡を追うのに少々苦労する。少し上にある第2リフト乗場は、以前とあまり変わらない様子で残っていた。

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(左)第1リフト中間部の鉄塔。(右)第1リフト終点部分。

第1リフトの中間鉄柱はほぼそのまま残っていて、それを追っていくと前回はレポートできなかった第1リフトの終点部分を見つけた。草木に覆われているものの、そのままの様子でよく残っている。以前は一段高い台地上に第2リフト中間部の鉄塔が残されていたがそれは取り壊されてしまったようだ。第2リフトのそこから上部の痕跡は探ることができなかった。かすかに第2リフト沿いのコースの跡らしいものが見つかったが、あまり確かなことはいえない。

見渡すと周囲の山々は白くなりかけていて、周囲のスキー場は準備真っ盛りといったところか。北飯山スキー場跡地も日影には雪が残っていたが、やはりいまスキー場として存続していたら、積雪に難があるゲレンデになっていただろう。(現地訪問:2016年12月)

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(左)以前は第2リフト中間部の鉄塔が残っていたが、綺麗になくなっていた。(右)第2リフト沿いのコースの痕跡と思われる場所。

こちらもご覧ください→「北飯山スキー場(その1)」