2016年12月26日

志賀高原ゴルフ場ゲレンデ(山ノ内町)

志賀高原のゴルフ場ゲレンデについては、寒水第2スキー場のことでお世話になったKさんから、何回か話を聞いていた。現在の志賀高原歴史博物館(旧・志賀高原ホテル)から志賀高原総合会館98あたりの場所にあったらしい。しかし、それ以上のことを調べられずそのままになっていた。

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長野鉄道管理局「スキースケート(1973年版)」より

その後、いろいろな資料を調べるうちにこのスキー場について明らかになってきた。国鉄・長野鉄道管理局作成の「スキースケート(1973年版)」には、志賀高原丸池スキー場・法坂スキー場の中に「ゴルフ場リフト」が掲載されていて、長さ266m、使用料1回60円となっている。同誌掲載の志賀高原概念図にも、「蓮池」「川原小屋」の脇にそのリフトがあって、だいたいの位置を知ることができた。

また、「志賀高原スキー史(1991年)」では「主なスキーリフト架設年表」の中にこのリフトが掲載されていて、「昭和35(1960)年4月架設、長さ244m、架設者名:志賀高原ホテル、昭和48(1973年)年4月廃止」となっている。10数年の寿命だったようだ。

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(左)各種資料から推測したゴルフ場リフトのあった場所。(右)志賀高原歴史博物館(旧・志賀高原ホテル)。冬季は休業。

もう少し正確な位置を知りたいと思っていたところ、たまたま目にした1977年版の空撮写真では、現在の総合会館の駐車場あたりは樹木のない草地の緩斜面になっていて、やはりその一帯がゲレンデだったと推測できた。さらに、「ブルーガイドブックス 志賀高原・草津・奥信濃(1983年、実業之日本社)」の巻末地図にはこのリフトが掲載されていた。

それらによれば、ゲレンデトップは現在の総合会館の北西にある丘のような小ピーク。また、ゲレンデ最下部は歴史博物館の右手裏(南東)あたりと推測される。リフトの長さもほぼ当てはまるようだ。

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(左)総合会館の駐車場から見上げる北側の丘。あのあたりがゲレンデトップではなかったか。(右)丘の上にはコンクリート製のベンチがあるが、リフトの痕跡はわからなかった。

そんな事前調査をしてから初冬の志賀高原を訪れる。積雪はまだ十分とはいえないけれど、丸池ゲレンデあたりは多くの人が滑っていた。まずは総合会館の駐車場へ。おそらくは総合会館の駐車場を造るときに斜面が整地されたため、北側の小ピークとの間にも西側の歴史博物館との間にも現在は大きな段差ができているが、当時は緩やかな斜面となっていたのではないだろうか。

総合会館98の右手からゲレンデトップの小ピークまで登ってみる。ピークにはコンクリート製のベンチが設置されていたが、リフトの痕跡などは見つけることができなかった。眼下には総合会館の駐車場が広がっていて、当時の雰囲気をうかがい知ることは難しい。緩やかな斜面が歴史博物館の裏手まで続いていたはずだと思うのだが。また、歴史博物館の周辺は雪に埋もれていて、リフトの痕跡などを見つけることはできなかった。「ゴルフ場リフト」ということなので、夏季にはゴルフ場になっていたのだろうが、そのあたりのこともよくわからなかった。

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(左)丘の上から木枝越しに総合会館の駐車場を見おろす。(右)歴史記念館の右手奥。このあたりにリフト乗場があったと思われる。

志賀高原の玄関口ともいえる場所にあった小さなゲレンデだったようだが、あまり魅力的ではなかったのだろうか。ゲレンデの雰囲気はいまとなっては想像しがたい。年末年始に向けて志賀高原全体は賑わいを見せるのだろうけれども、廃止となってしまったロープウェイ乗場周辺や総合会館周辺には人の姿は少なく、何となく寂しさを感じた。(現地訪問:2016年12月)

2016年12月13日

北飯山スキー場(その2)(飯山市)

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資料を整理していたところ「北飯山スキー場」のパンフレットが出てきた。各種料金も時代を感じさせるもの。宿泊申込みをハガキ(料金7円)で行う仕組みだったり、貸靴のサイズ記入が〇文だったりするのも面白い。年代は記されていないのではっきりしない。ただ、このスキー場が営業していたのは1964年12月〜1976年春までのことで、その間ハガキ料金が7円だったのは1966年7月〜1972年1月まで。したがってその間の1970年前後のものと思われる。

「遠くに三国の山なみを望み近くに関田の山脈を眺め眼下に詩情豊かな千曲川の雪景色は、格別目にしみる豪雪地として知られる豊かな積雪に恵まれ、特に当北飯山スキー場は、スキー場としての絶対条件である北向スロープで1日中粉雪で積雪の変化がなく、スキーヤーには最高のスキー場であります」と案内されている。

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(左)斜面からは関田山脈の山並が望める。

さらに「広大なゲレンデは初心者、中級者には最適であり、又、宿はスキー場の麓に位置し詩情豊かな寒村での民宿で、冬の夜長コタツを囲んで想い出を語る旅情は雪国の素朴な人柄と共にスキーヤーの心の故郷でもあり、奥信濃北飯山の宿ならでは味わえないものでしょう」とある。

リフトは第1リフト(300m)・第2リフト(400m)のシングル2基があった。リフト2基で「広大なゲレンデ」とは少々無理があるかもしれない。ただ、第2リフト終点のすぐ南側はいまはなき飯山国際スキー場に隣接していて、両者を結ぶロープトロイカも整備されたという。両者を合わせると確かに広大な規模にはなるのだが。

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(左)第1リフト乗場。コンクリート部分だけとなった。(右)第2リフト乗場。ヤブに覆われていたが、ほぼ前回訪問時と変わらない。

前回、本ブログで取り上げたのは8年近く前のこと。そのときはリフトの残骸などがよく残っていた。その後、飯山方面に出かけた際に足をのばしてみたところでは、痕跡は少しずつ消滅しているような気がしていた。

あらためて北飯山スキー場跡を探索してみる。第1リフトの乗場は機械類が取り外され、コンクリート部分だけが残されていた。周囲は以前よりもヤブが生い茂っていて、リフトの痕跡を追うのに少々苦労する。少し上にある第2リフト乗場は、以前とあまり変わらない様子で残っていた。

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(左)第1リフト中間部の鉄塔。(右)第1リフト終点部分。

第1リフトの中間鉄柱はほぼそのまま残っていて、それを追っていくと前回はレポートできなかった第1リフトの終点部分を見つけた。草木に覆われているものの、そのままの様子でよく残っている。以前は一段高い台地上に第2リフト中間部の鉄塔が残されていたがそれは取り壊されてしまったようだ。第2リフトのそこから上部の痕跡は探ることができなかった。かすかに第2リフト沿いのコースの跡らしいものが見つかったが、あまり確かなことはいえない。

見渡すと周囲の山々は白くなりかけていて、周囲のスキー場は準備真っ盛りといったところか。北飯山スキー場跡地も日影には雪が残っていたが、やはりいまスキー場として存続していたら、積雪に難があるゲレンデになっていただろう。(現地訪問:2016年12月)

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(左)以前は第2リフト中間部の鉄塔が残っていたが、綺麗になくなっていた。(右)第2リフト沿いのコースの痕跡と思われる場所。

こちらもご覧ください→「北飯山スキー場(その1)」

2016年11月22日

ヤナバスノーパーク(その2)(大町市)

11月10日付信濃毎日新聞でヤナバスノーパークの今冬の営業休止が報じられた。
「大町市平のスキー場『ヤナバスノーパーク』の運営会社ヤナバを傘下に収めて事業再生に取り組んでいるマックアース(兵庫県養父市)は今冬の同スキー場の営業を断念すると決めた」とのことである。

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(左)列車が通過していくヤナバスキー場前駅。再び列車が停車する日が来るのか。(右)大糸線・国道148号の向こうにゲレンデ。

同スキー場は経営難により2014シーズンに営業を休止(→「ヤナバスノーパーク(その1)」参照)。マックアースが支援に乗り出し、翌2015シーズンに営業再開。しかしながら2シーズン連続で赤字となり、再生は困難と判断。撤退を視野に入れ、ヤナバの譲渡先を探しているとのこと。2015シーズンはナイター営業の時間延長にもかかわらず客足は伸び悩み、2016シーズンは雪不足のためオープンが1月下旬にずれ込んだ。2016シーズンは40日間のみの営業で、売り上げは1300万円(目標6千万円)、利用者数はわずか7975人だったという。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「雪質には定評があり、緩やかな中緩斜面中心のゲレンデは家族連れにも人気がある。山頂から真下にある青木湖に飛び込む感じのダウンヒルは大きな売り物」と紹介されている。当時は、クワッド1基・ペア3基であったが、その後、ペア2基は使用休止となっている。最近はスノーボーダーが多かったのではないかと思う。ファミリー層の開拓はどうだったのだろうか。

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(左)センターハウス前からゲレンデを見上げる。(右)ゲレンデ最下部。圧雪車は置かれているが、開業準備の様子はない。

国道148号沿いに広い駐車場があり、ゲレンデ直下に大糸線の駅もありアクセスは便利。しかし、この先に白馬方面の大きなゲレンデが林立しているので通過してしまう人が多かったのか。また、白馬へのアクセスは長野経由の比重が大きくなっているのも影響しているのだろうか。

大町方面に出かけたついでに、あらためてヤナバを訪れる。ゲレンデ基部に圧雪車が置かれているものの、当然ながら開業準備の気配はない。国道沿いの案内表示はそのまま。対岸の青木湖スキー場も休業のまま。雪の季節を前に、青木湖の上には冷たい風が吹き渡っていた。(現地訪問:2016年11月)

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(左)国道沿いの案内板はそのまま。(右)青木湖対岸からゲレンデ全体を見る。

こちらもご覧ください→「ヤナバスノーパーク(その1)」
posted by 急行野沢 at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 白馬山麓 営業休止のスキー場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月03日

妙高パインバレースキー場(その2) (新潟県妙高市)

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(左)アパリゾートの案内板。スキー場の文字はない。(右)アクセス道路からメインゲレンデとセンターハウス・ゴンドラ・高速ペア乗場。

妙高パインバレーのことを本ブログで取り上げたのは6年前のこと。アパグループがホテル・ゴルフ場などとあわせて買収したものの、ほんの数年でスキー場経営を中止した。その直後のことだった。そのときは冬だったので、ゲレンデ下から見上げた様子しかわからなかった。いつか上部の様子もあわせてレポートしなければと考えていた。秋晴れの休日に妙高に向かう。アパリゾートは総合リゾート施設なので、スキー場以外は経営を続けている。今日もゴルフ場にはプレイをする人の姿が見られた。

ゲレンデ下に行ってみると、広い駐車場に向かい合うセンターハウスや、ゴンドラ・2基の高速ペアリフトとも現役さながらの様子に見えた。窓ガラスが破損するなど細かいところでは建物の傷みが見られるものの、営業中止から6年を経てもしっかり管理されている様子がうかがえた。ゴンドラやリフトも搬器はもちろん外されているものの、ワイヤーは張られたまま鉄柱を渡っている。メインゲレンデだった斜面も雪さえ積もれば、すぐにでも滑走できそうだ。この様子からすると、状況次第ではスキー場営業を再開する可能性も考えているのだろうか。そんな期待もいだかせる。

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(左)スカイラインコースの斜面と右手に第4高速ペア。(右)ダウンヒルコースの入口。

ホテルの脇からゲレンデ上部を通過して樽本集落や斑尾高原方面に通じる舗装林道。この道を車でたどる。しばらく上ると左手に第4高速ペア乗場の建物があらわれる。この建物も大きな破損はなく、リフトのワイヤーも張られている。リフト左にはややススキの背が高くなったスカイラインコースの跡が見て取れる。さらに進むと、頭上をゴンドラのワイヤーが横切り前方にゴンドラ終点の建物が見える。林道から左に分岐すると、この建物の前に出る。こちらもわずかな破損を除いて建物はしっかりしている。建物左後方には、赤倉や杉ノ原の斜面が見えた。周囲は一面の紅葉だ。

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(左)ゴンドラ終点駅を下から見上げる。(右)ゴンドラ終点駅。左に赤倉・杉ノ原のゲレンデが見える。妙高山頂は雲の中。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には、「妙高連山や戸隠、斑尾を見渡す絶好のロケーションにつくられたリゾートスキー場。サウナ・露天風呂・温泉浴場などがある。中級スキーヤーならゴンドラですべてのコースが楽しめる」近年、ファミリー層がスキー人口を支えていることを考えると、このゲレンデ構成や施設はそんなファミリー層には適しているのではないか。ARAI復活のニュースもあるので、そんな気にもさせられた。(現地訪問:2016年11月)

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(左)ゴンドラ終点駅から見た第4高速ペアの最上部。(右)最盛期のゲレンデ構成。

こちらもご覧ください→「妙高パインバレースキー場(その1)」

2016年10月12日

信濃平スキー場(その2)(飯山市)

本ブログをはじめて間もない頃に取り上げた信濃平。飯山方面に出かけたので、久しぶりに立ち寄ってみた。7年前の記録でもリフトの痕跡は撤去されていたが、レストハウスなどの建物はいまも残されていた。

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(左)山麓からゲレンデ全体を見上げる。草木が生い茂りわかりにくくなっている。(右)民宿街にはいまも宿泊施設を示す地図が掲げられている。

現在は「かまくらの里」をウリにしているようで、飯山線信濃平駅から小丘陵を越えた西側の主要道沿いには冬場の祭典のための施設が並んでいる。山側に上って行く道には、民宿の案内表示やスイス・グレーヘンスキー場との提携マークがいまも見られる。その一角に登行リフト的な第1リフトの乗場があったはずだが、その痕跡はわからない。ただ、前方に樹林の切開きの跡があり、およその位置関係を推測することができる。

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(左)第1リフトの乗場はこのあたりか。前方に樹林の切開きの跡。(右)第1リフトで上ったゲレンデ中心部には、レストハウスなどの建物が残る。

舗装車道がゲレンデを縫うように上っている。それを車で進むと、レストハウスやレンタルスキーなどの建物が廃墟となって残るゲレンデ中心部に到達する。建物の壁にゲレンデマップがいまも掲げられていて、それを見ると最盛期にはかなり多くのコースがあったことがわかる。畑地になったり草木に覆われて、ゲレンデはその痕跡を失いはじめていた。さらに車道を進むと上部からゲレンデを見おろすことができる。あいにくの雨模様だが、それでも斜面の雰囲気とその先に田園風景を望むことができた。

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(左)レストハウスの壁にあったゲレンデマップ。(右)ゲレンデ上部から見おろす。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には以下のように紹介されている。「標高939mの黒岩山の東斜面にSAJ公認大回転バーンや山頂からの全長4kmの林間コースをはじめ、バラエティーに富んだコースが展開しているスキー場。信越の豪雪地帯にあり積雪は豊富で、レベルに応じて十分満足のいくコースを揃えている。(中略)スキースクールではシーズン中、滞在のヨーロッパアルペンスキーインストラクターの指導が受けられる。宿泊は民宿がおすすめ」

1963年開業、2001シーズンにて営業休止。最後のころはペア2基・シングル2基のリフト施設があった。古い資料の中に見つけた1969年の黒岩スキー場(信濃平スキー場の旧名)のパンフレットには、シングルリフト4本が記載さているが、その後リフトの架け替えがなされたらしい。

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1969年の黒岩スキー場の案内パンフレット。

パンフレットなどでも、民宿をさかんにPRしている。その後のバブル期の中で、スキーにもっとオシャレなものを求めるようになったためか、信濃平にもそれに対応した宿泊施設も見られた。それらも半ば廃墟と化している。(現地訪問:2016年10月)

こちらもご覧ください→「信濃平スキー場(その1)」