2016年11月22日

ヤナバスノーパーク(その2)(大町市)

11月10日付信濃毎日新聞でヤナバスノーパークの今冬の営業休止が報じられた。
「大町市平のスキー場『ヤナバスノーパーク』の運営会社ヤナバを傘下に収めて事業再生に取り組んでいるマックアース(兵庫県養父市)は今冬の同スキー場の営業を断念すると決めた」とのことである。

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(左)列車が通過していくヤナバスキー場前駅。再び列車が停車する日が来るのか。(右)大糸線・国道148号の向こうにゲレンデ。

同スキー場は経営難により2014シーズンに営業を休止(→「ヤナバスノーパーク(その1)」参照)。マックアースが支援に乗り出し、翌2015シーズンに営業再開。しかしながら2シーズン連続で赤字となり、再生は困難と判断。撤退を視野に入れ、ヤナバの譲渡先を探しているとのこと。2015シーズンはナイター営業の時間延長にもかかわらず客足は伸び悩み、2016シーズンは雪不足のためオープンが1月下旬にずれ込んだ。2016シーズンは40日間のみの営業で、売り上げは1300万円(目標6千万円)、利用者数はわずか7975人だったという。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「雪質には定評があり、緩やかな中緩斜面中心のゲレンデは家族連れにも人気がある。山頂から真下にある青木湖に飛び込む感じのダウンヒルは大きな売り物」と紹介されている。当時は、クワッド1基・ペア3基であったが、その後、ペア2基は使用休止となっている。最近はスノーボーダーが多かったのではないかと思う。ファミリー層の開拓はどうだったのだろうか。

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(左)センターハウス前からゲレンデを見上げる。(右)ゲレンデ最下部。圧雪車は置かれているが、開業準備の様子はない。

国道148号沿いに広い駐車場があり、ゲレンデ直下に大糸線の駅もありアクセスは便利。しかし、この先に白馬方面の大きなゲレンデが林立しているので通過してしまう人が多かったのか。また、白馬へのアクセスは長野経由の比重が大きくなっているのも影響しているのだろうか。

大町方面に出かけたついでに、あらためてヤナバを訪れる。ゲレンデ基部に圧雪車が置かれているものの、当然ながら開業準備の気配はない。国道沿いの案内表示はそのまま。対岸の青木湖スキー場も休業のまま。雪の季節を前に、青木湖の上には冷たい風が吹き渡っていた。(現地訪問:2016年11月)

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(左)国道沿いの案内板はそのまま。(右)青木湖対岸からゲレンデ全体を見る。

こちらもご覧ください→「ヤナバスノーパーク(その1)」
posted by 急行野沢 at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 白馬山麓 営業休止のスキー場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月03日

妙高パインバレースキー場(その2) (新潟県妙高市)

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(左)アパリゾートの案内板。スキー場の文字はない。(右)アクセス道路からメインゲレンデとセンターハウス・ゴンドラ・高速ペア乗場。

妙高パインバレーのことを本ブログで取り上げたのは6年前のこと。アパグループがホテル・ゴルフ場などとあわせて買収したものの、ほんの数年でスキー場経営を中止した。その直後のことだった。そのときは冬だったので、ゲレンデ下から見上げた様子しかわからなかった。いつか上部の様子もあわせてレポートしなければと考えていた。秋晴れの休日に妙高に向かう。アパリゾートは総合リゾート施設なので、スキー場以外は経営を続けている。今日もゴルフ場にはプレイをする人の姿が見られた。

ゲレンデ下に行ってみると、広い駐車場に向かい合うセンターハウスや、ゴンドラ・2基の高速ペアリフトとも現役さながらの様子に見えた。窓ガラスが破損するなど細かいところでは建物の傷みが見られるものの、営業中止から6年を経てもしっかり管理されている様子がうかがえた。ゴンドラやリフトも搬器はもちろん外されているものの、ワイヤーは張られたまま鉄柱を渡っている。メインゲレンデだった斜面も雪さえ積もれば、すぐにでも滑走できそうだ。この様子からすると、状況次第ではスキー場営業を再開する可能性も考えているのだろうか。そんな期待もいだかせる。

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(左)スカイラインコースの斜面と右手に第4高速ペア。(右)ダウンヒルコースの入口。

ホテルの脇からゲレンデ上部を通過して樽本集落や斑尾高原方面に通じる舗装林道。この道を車でたどる。しばらく上ると左手に第4高速ペア乗場の建物があらわれる。この建物も大きな破損はなく、リフトのワイヤーも張られている。リフト左にはややススキの背が高くなったスカイラインコースの跡が見て取れる。さらに進むと、頭上をゴンドラのワイヤーが横切り前方にゴンドラ終点の建物が見える。林道から左に分岐すると、この建物の前に出る。こちらもわずかな破損を除いて建物はしっかりしている。建物左後方には、赤倉や杉ノ原の斜面が見えた。周囲は一面の紅葉だ。

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(左)ゴンドラ終点駅を下から見上げる。(右)ゴンドラ終点駅。左に赤倉・杉ノ原のゲレンデが見える。妙高山頂は雲の中。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には、「妙高連山や戸隠、斑尾を見渡す絶好のロケーションにつくられたリゾートスキー場。サウナ・露天風呂・温泉浴場などがある。中級スキーヤーならゴンドラですべてのコースが楽しめる」近年、ファミリー層がスキー人口を支えていることを考えると、このゲレンデ構成や施設はそんなファミリー層には適しているのではないか。ARAI復活のニュースもあるので、そんな気にもさせられた。(現地訪問:2016年11月)

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(左)ゴンドラ終点駅から見た第4高速ペアの最上部。(右)最盛期のゲレンデ構成。

こちらもご覧ください→「妙高パインバレースキー場(その1)」

2016年10月12日

信濃平スキー場(その2)(飯山市)

本ブログをはじめて間もない頃に取り上げた信濃平。飯山方面に出かけたので、久しぶりに立ち寄ってみた。7年前の記録でもリフトの痕跡は撤去されていたが、レストハウスなどの建物はいまも残されていた。

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(左)山麓からゲレンデ全体を見上げる。草木が生い茂りわかりにくくなっている。(右)民宿街にはいまも宿泊施設を示す地図が掲げられている。

現在は「かまくらの里」をウリにしているようで、飯山線信濃平駅から小丘陵を越えた西側の主要道沿いには冬場の祭典のための施設が並んでいる。山側に上って行く道には、民宿の案内表示やスイス・グレーヘンスキー場との提携マークがいまも見られる。その一角に登行リフト的な第1リフトの乗場があったはずだが、その痕跡はわからない。ただ、前方に樹林の切開きの跡があり、およその位置関係を推測することができる。

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(左)第1リフトの乗場はこのあたりか。前方に樹林の切開きの跡。(右)第1リフトで上ったゲレンデ中心部には、レストハウスなどの建物が残る。

舗装車道がゲレンデを縫うように上っている。それを車で進むと、レストハウスやレンタルスキーなどの建物が廃墟となって残るゲレンデ中心部に到達する。建物の壁にゲレンデマップがいまも掲げられていて、それを見ると最盛期にはかなり多くのコースがあったことがわかる。畑地になったり草木に覆われて、ゲレンデはその痕跡を失いはじめていた。さらに車道を進むと上部からゲレンデを見おろすことができる。あいにくの雨模様だが、それでも斜面の雰囲気とその先に田園風景を望むことができた。

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(左)レストハウスの壁にあったゲレンデマップ。(右)ゲレンデ上部から見おろす。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には以下のように紹介されている。「標高939mの黒岩山の東斜面にSAJ公認大回転バーンや山頂からの全長4kmの林間コースをはじめ、バラエティーに富んだコースが展開しているスキー場。信越の豪雪地帯にあり積雪は豊富で、レベルに応じて十分満足のいくコースを揃えている。(中略)スキースクールではシーズン中、滞在のヨーロッパアルペンスキーインストラクターの指導が受けられる。宿泊は民宿がおすすめ」

1963年開業、2001シーズンにて営業休止。最後のころはペア2基・シングル2基のリフト施設があった。古い資料の中に見つけた1969年の黒岩スキー場(信濃平スキー場の旧名)のパンフレットには、シングルリフト4本が記載さているが、その後リフトの架け替えがなされたらしい。

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1969年の黒岩スキー場の案内パンフレット。

パンフレットなどでも、民宿をさかんにPRしている。その後のバブル期の中で、スキーにもっとオシャレなものを求めるようになったためか、信濃平にもそれに対応した宿泊施設も見られた。それらも半ば廃墟と化している。(現地訪問:2016年10月)

こちらもご覧ください→「信濃平スキー場(その1)」

2016年09月13日

寒水第2スキー場(岐阜県郡上市)

奥美濃の郡上にあった寒水スキー場を本ブログで取り上げたのは5年前のこと。たしか、その時に見た資料には寒水第2スキー場の名前も記載されていたが、あまり細かいことはわからなかった。今年初め頃、本ブログ読者のKさんから、この寒水第2スキー場についてご連絡をいただいた。

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(左)寒水川に沿う県道の脇にある蛇岩の祠。(右)林道で車が乗り入れられるのはここまで、この先は荒れた林道を歩く。

Kさんは、夏から秋にかけてこの寒水でトマトづくりをされている。土地の人から聞いた話では、寒水を南北に貫く県道82号線の脇にある蛇岩の祠から、西側の山中に入ったところに寒水第2スキー場があったということだった。夏場になったら訪れてみようと思っていたが、なかなか機会がなかった。高山方面に所用で出かけた折に足をのばすことができた。

前もって連絡したわけではなかったものの、運よくKさんはトマト畑で仕事をされていた。聞いた話にもとづいて案内していただき、スキー場跡地まで一緒に行ってみることになった。蛇岩の祠から一段西に細い道を上った先で舗装は途切れ、その先、1kmほど未舗装林道に車を乗り入れる。

ただ、1kmほど進んだ先は、林道の路面が荒れていてとても車の乗り入れはできない。熊鈴も付け、山支度をして歩きはじめる。草が茂り倒木などもある道を20分ほど歩くと林道の跡は途切れる。以前はここまで車で上ってきたという。背の高い草に覆われているが、車数台くらい駐車できる平地があるように見えた。右上の斜面がどうやらゲレンデ跡のようだ。

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(左)林道終点は小広い平地になっている。草に覆われているが、以前は数台分の駐車場があったと思われる。(右)ゲレンデだったと思われる斜面を見上げる。昔の牧草地の雰囲気は感じられた。

踏み跡らしきものをたどって右上(西)へと斜面を登る。広葉樹が茂ってはいるが、下草の雰囲気や斜度から見ると、ここが寒水第2スキー場の跡地と思えた。東向きの斜面は、中級者向けには程よい傾斜ではなかっただろうか。昔は牛の牧草地だったということで、冬期にわずかな積雪でも滑ることができたという。リフトやロープトゥもなかったけれど、当時は明宝方面で唯一のスキー場だったので結構にぎわっていたらしい。

Kさんからのその後の情報によれば、寒水村の名家が開発したもので、いまでいう地域活性化を先取りしたものらしい。ただ、時代を先取りしすぎて周囲はついていけないという面もあったようだ。

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(左)少し上ったところから斜面を見おろす。

スキー場があった年代は40年以上昔だろうか。その頃はいまほどマイカーでスキーに出かける人は多くなかったと思う。とすれば、県道沿いのバス停から歩いたのだろうか。その時代には、スキー場まで数キロ歩くなどは当り前だった。そんなことをKさんと話ながら、山を下った。(現地訪問:2016年8月)

2016年08月25日

大平スキー場(その2)(中野市/旧豊田村)

上信越道・豊田飯山IC近くにあった大平スキー場。本ブログでは7年ほど前に取り上げた。その後、近くを車で通ることはよくあるものの、立ち寄ることがなかった。

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(左)コンクリート部分だけが残されたリフトの痕跡。(右)リフト下からゲレンデがあった斜面を見上げる。

先日、通りすがりに立ち寄ってみると、リフトの痕跡がコンクリート部分だけになっていて驚いた。以前は機器類やワイヤーなども残っていたけれど、それらは撤去されたようだ。いつかヤブ漕ぎをして上部の様子も知りたいと思っていたが、草木の生い茂るこの季節にはそれも難しかった。

前回も触れた伯父の遺品の中から、豊田村にあった大平・涌井両スキー場の案内書を発見した。「今冬開設される…」と記載されているから、開設年の1968年につくられたものと思われる。

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(大平スキー場・涌井スキー場の案内書から)

案内書によれば、大平スキー場へは飯山線+バスにより長野駅から40分でアクセスできる。とすれば長野駅から最も近いスキー場ということになる。積雪さえ確保できれば、長期にわたり長野市街に近い便利なスキー場となっていただろう。

なお、案内書には同村内にあった涌井スキー場についても掲載されている。涌井スキー場にはトロイカ1基があったが、「未開のスキー場です」と書かれているのが面白い。こちらの方が大平スキー場よりも先に閉鎖されることとなった。

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(大平スキー場・涌井スキー場の案内書から)

立派な案内書もつくられていて、豊田村としては観光集客の目玉として力を入れていた様子がうかがえる。農林業以外にはさしたる産業もなかったと思われる地域にとっては、スキー客による冬期の収入は非常に大きなものだったと思われる。(現地訪問:2016年7月)

こちらもご覧ください→「大平スキー場(その1)」
posted by 急行野沢 at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信越沿線 営業休止のスキー場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする